Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『チェリスト』Cellists カズオ・イシグロ

夜想曲集 』(2009)
Nocturnes : five stories of music and nightfall
音楽と夕暮れをめぐる五つの物語の、最後のおはなし
チェリスト」(Cellists)


最後はハンガリー人である若手チェリスト、ティボールが登場。
ティボールは音楽学校で一流の教育を受けていたが、演奏会をわたり歩くだけの乏しい生活をしていた。


そんな中、ある年上のアメリカ人女性に、個人レッスンを受けることになる。
レッスン場所はホテルの一室。
何やらあやしいけれど、恋愛関係というわけではなく、
お互いの信頼関係が徐々に深まっていく程度。


女性は自らを「チェロの大家」と名乗るけれど、
チェロを決して弾くことはなく、部屋に楽器すらない。
言葉だけで彼の演奏を批判し評価するのだ。
そんな先生で大丈夫だろうか。


しかも彼女は、ティボールを見ただけでその時の感情をも見抜いてしまうという特技がある。
いったい何者?


彼女は幼いころチェロを始めたが、良い指導者に巡り合わず断念したという。
才能を傷つけないこと、進むより待つことを優先してきた。
良き指導者に巡り合うために、今も待ち続けているというのだろうか、、、。


何の根拠も見えてこないけれど、
ティボールと自分にはお互いに特別な才能があると断言している。


原題の"Cellists"に、Sがつくのは、彼女とティボールを意味するのだろうか。


実は女性には婚約者がいる。
その婚約者は本当の彼女を理解しているのだろうか、
幸せになれるのだろうかと、
そんなことを思いながら、ティボールは次なるステップへと旅立っていく。


女性のおかげで、ティボールは自らの才能に自信がついたのだろう。
(何の根拠もないのだけれど)
7年後の彼は、横柄な振る舞いをする男になっていた。
決して大活躍しているとはいえないのに、残念な姿である。


彼女のいう「才能」とは、いったいなんだったのだろう。
「才能」はある意味、厄介なものなのだろうか。
「才能」を手にした人々はみんな、傲慢になってしまうのだろうか。
「才能」とは、ひとりの人間を愛することより大きいのだろうか。
わたしにはまだわからない、、、。


******


5つの短編に共通していたのは、音楽にまつわる男女間の微妙なすれ違いが、国際色豊かに語られているということでした。
最後の作品に登場する、「ゴッドファーザー」とラフマニノフ
これらの曲を改めてYouTubeで聴いてみましたが、重農な調べと、迫力ある流れが、この作品にマッチしていると感じました。
チェロから感じられる、落ち着いた音色もまた粛々としていていいですね。


音楽と文学の意外なコラボを楽しむことができて、
カズオ・イシグロさんに、深い感謝の気持ちでいっぱいになりました。


(2021.4.4 記)
(2022.8.1 更新)


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『夜想曲』Nocturne カズオ・イシグロ

夜想曲集 : 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(2009)
Nocturnes : five stories of music and nightfall
音楽にまつわる5つの短編集の中の、
夜想曲Nocturne


4番目に登場するこのお話は、
なんというか、現実味のない?非日常的なドタバタ劇が再び!という感じで、全体的にカズオイシグロらしいユーモアが散りばめられている。そういう意味では5つの中でいちばん面白いと感じる。



あとがきにもあるように、イシグロはこの短編集を5楽章からなる1曲、もしくは5つの歌を収めた1つのアルバムにたとえ、5篇を一つのものとして味わってほしいと述べている。4篇では、1篇『老歌手』で出てきたリンディーが再び登場したり、2篇『降っても晴れても』のドタバタが帰ってくる。5篇を1曲に例えるなら、このお話は一番盛り上がるサビの部分に位置するのではないだろうか。



ここまで読み進めると、各篇の語り手に共通する部分が見えてくる。それは、お世辞にも人生を謳歌しているとは言いがたい残念な男たちだ。
今回もスティーブという、なかなか有名になれないサックス奏者の語りである。



ティーブは、顔が醜男だからとマネージャーに整形をすすめられる。
かたや愛する妻には、その必要はないと言われる。しかし皮肉にも別の男のもとへと離れていってしまう。
その男に、費用をもつから整形しろと言われ、あれよあれよという間に整形することに。
(なんだそれ?)



あのリンディーが登場するのはその後、術後の療養ホテルで、部屋が隣どおしになる。有名人御用達のホテル。



リンディーはトニーガードナーと離婚後も毒舌ぶりは健在で、自由奔放なイメージはそのままだ。スティーブはそんなリンディに、完全に振り回されてしまう。



ティーブを部屋に呼び寄せ、トニーガードナーの曲を聴かせたり(未練あり?)、メグライアンにもらったチェスをしようと言ったり、あなたのサックスをききたいと執拗に迫る。人懐っこいともいえる?この馴れ馴れしさに不信感さえ感じるスティーブだが、、、、



マネージャーには、これはチャンスじゃないかと説得され、しぶしぶリンディーとチェスをしながら自分のサックスのCDを聴いてもらうことに。
しかし、反応が、、、お気に召さなかったようだ。後に感動の裏返しだったことがわかるが、リンディーは自分のとった態度を反省し、スティーブにあるプレゼントを差し出す。



それはなんと、年間最優秀ジャズミュージシャン賞のトロフィー。
ホテル内の散歩で盗んできた本物だ。
ティーブにとってこんなに皮肉な品はないだろう。



盗みはいかん!と返しに行くために、二人でホテル内をドタバタ。
ティーブは暗闇の中、なんとローストターキー(七面鳥)のなかにトロフィーをねじ込み隠したのだ。
手が七面鳥に入ったまま、つまり手が七面鳥という有様。



逃げ切る。笑い転げる、大の大人のドタバタ劇。
ここで忘れてはいけないのが、整形後の二人の顔は包帯ぐるぐる巻きだということ。



正気ですか、イシグロさん?



リンディーのやり方は突飛であはるが、どこか人情味があり憎めない。



ティーブは、整形したのだから、夫婦仲は取り戻せるし、サックスで有名になれると希望をもつ。
名誉や成功のためには、手段を選ばないということか?



リンディーとスティーブに共通していたのは、顔が変われば人生は変わる、名声や栄光は再生できると密かに信じていたこと。
それにしても、

人生は、ほんとうに一人の人間を愛することより大きいのだろうか (p.257)


私にはまだわからない。


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『モールバンヒルズ』Malvern Hills カズオ・イシグロ

夜想曲集 : 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(2009)
Nocturnes : five stories of music and nightfall
音楽にまつわる短編集の3つめのおはなし。
『モールバンヒルズ』(Malvern Hills)


イングランドにモールバンヒルズという丘がある。


この地でカフェを経営する姉夫婦のもとにやってきたのは、若きギタリスト。
ロンドンでオーディションを受け続けていたが、業界の現状に嫌気がさしていた。
夏の間ここでカフェを手伝いながら、曲を書きためようともくろんでいた。



こういうと、のどかで牧歌的なストーリーだと思いがちだが、若きボクの目線で語る人物描写がシビアでおもしろい。



カフェにやってくる客は個性的だ。
そのひとり「くそ婆あ」は、昔ボクを問題児扱いした教師だった。退職後、近くで民宿を経営しているというが、悪評らしい。



お次はスイスから来たミュージシャンの老夫婦「クラウト夫婦」。
ボクはこのふたつの客を、間接的につなげる役目をはたすことになるのだが、、、、、



話はしだいに「クラウト夫婦」がメインになる。
この夫婦は、どこか特異な雰囲気がある。
妻ゾーニャは、とにかくネガティブだ。
反して夫のティーロは、痛ましいほどのポジティブ思考。
当然会話は成り立たず、その場の空気は冷たい。



しかし音楽となると豹変する二人。
ボクがギターを弾いて歌えば、二人で仲良くリズムに乗り、君は才能があるとほめてたたえる。ボクはしだいに「クラウト夫婦」に心を開きだすのだが、若者らしい悪戯心がうずき出す。もう少しこの地で過ごしたいという夫婦に、あの悪評の「くそ婆あ」民宿を案内するのだ。



いったいどうなるの??
夫のティーロはやはり誉めそやすのか、妻ゾーニャは??。「くそ婆あ」の反応は?
ボクは罪悪感を感じながらも、三人のことを想像してはほくそ笑む。



翌朝、もう二度と会うことがないと思っていた「クラウト夫婦」草原で偶然出会ってしまう。
2人は別々の場所にいて、何かがおかしい。
もしかして原因は、、、
ボクは再び罪悪感にかられる。


しかし「くそ婆あ」民宿は、問題の一部にしかすぎなかった。問題は夫婦間の長年のウミだった。音楽だけでつながっていたような二人(それも素敵)だけど、うまくいかないこともある。この日も、この素晴らしい丘を絶賛し妻と共有したかったのに、「そんなのただの公園よ」と言われ絶句する夫。



ついに糸が切れたのだ。あのポジティブさはもう消えていた。



わずかな光が見えた若者と、光を失った老夫婦が対比的に映る。



モールバンヒルズは、作曲者エドワード・ウィリアム・エルガーのゆかりの地でもある。
エルガーといえば「威風堂々」が名曲だけど、このお話にでてくる美しい丘や、どこまでも続く草原、そして静かな調べは「エニグマ変奏曲」がほどよくマッチするなあと感じた。



追記:とあるインタビューで、この作品は、ミュージシャンになりたかった頃の著者自身のお話ですか?という質問に対して、イシグロはさんは、きっぱり「ノー」と言っています。自己中心的な若者が、人生に向き合う上で、どのような戦略をとるべきか。また、失望したときにはどのように対処すればいいかということを書きたかった。また、スイス人夫婦などのさまざまな人生モデルを見ることで、人生は思い通りにはいかないことを学ぶお話だと述べています。


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『降っても晴れても』Come Rain or Come Shine カズオ・イシグロ

夜想曲集 : 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(2009)
Nocturnes : five stories of music and nightfall
音楽にまつわる短編集の2番目に登場するドタバタ劇。
『降っても晴れても』(Come Rain or Come Shine)

単独でも出版されています。


まるで、アメリカのコメディードラマを観ているようなドタバタへ劇へと展開するこのお話、著者は本当にカズオ・イシグロさんですか?と疑ってしまうのですが、最後に穏やかな余韻が残るところはさすがでございます。


この話、クラシック音楽で例えてみるなら、ブラームスの『ハンガリー舞曲 第五番』が浮かんできます。
静と動のリズムが、登場人物の感情の起伏(突飛な行動をしたかと思うと、ふと我に返り落ち込んだり)によくマッチするような気がして、この曲にのせて読んでみたら、、、、もちろん落ちつくところではありません。


ということで、タイトルどおりの『降っても晴れても』"Come Rain or Come Shine"という、レイ・チャールズの曲を聴いてみました。
ロマンティックな歌詞にしっとりしたジャズバラード、これこそがBGMではないかと思ってみたのですが、、、
やはりなにかが違う。
なぜならこのお話が、ドタバタしてるからです。


語り手レイモンドは、47歳。スペインで、のらりくらりと英語講師をしている。
大学で知り合った友人、チャーリーとエミリ夫婦が住むロンドンの家に久しぶり訪れると、チャーリーから無茶な頼みごとをされる。
それは2~3日の出張中、冷め切った夫婦間をとりもつために、エミリと一緒に過ごしてほしいというもの。


その目的は「時代に置き去りにされた抜け殻」のようなレイ(レイモンド)と、自分を比較し、自分を優位に立たせるため。帰宅したときには、やっぱりあなたが一番よ、と言ってもらいたいのだ。友人を利用して、このような浅はかな計画を本気で懇願するところが面白い。


しぶしぶ引き受けたレイは、エミリの日記に自分の悪口が書かれているのを発見する。
これに腹を立て、日記帳をしわくちゃにしてしまう。我に返ったレイはチャーリーに電話でアドバイスをもらい突飛な行動へ。
エミリが帰宅するまで、近所の犬が日記帳を荒らしたと見せかけるために、部屋中をめちゃくちゃにする。おまけに犬の匂いをつくるために、ブーツと香辛料を鍋で煮るという始末。


「気は確かか、チャーリー?」


と問いかけながらも、開き直ったレイの行動は焦りと高揚でますます激化するが、一方で、荒らし方が足りないと、四つん這いになって犬の視点で考え直す冷静さも垣間見られる。日本人にはない発想というか、


気は確かですか、イシグロさん?


そしてついにエミリが帰宅。
レイの奇行ぶりに激怒すると思いきや、意外とあっさり受け入れられ、なだめられる。
疲れているのね、と音楽をかけ、ワインをすすめ、落ち着かせる。
2人は昔、音楽を語り合った仲だ。
サラ・ボーンの「パリの四月」という官能的な曲を聴きながら、踊り、友情を確かめ合う。
8分間という曲の間の穏やかな時間。
エミリは夫チャーリーとの関係も見直すべきだと思うようになる。


え、そういう展開?
チャーリーの作戦は、成功したということ?


エンディングの曲は、
ここでやっと、あのしっとりした
"Come Rain or Come Shine"が流れてきそう。


夫婦仲が戻ったというわけで、
お疲れ様のレイでした。
音楽と友情の絆は絶大だった。

2021.3.27 記
2022.7.31 更新


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『老歌手』Crooner カズオ・イシグロ

夜想曲集 : 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』Nocturnes : five stories of music and nightfall(2009) 、音楽にまつわるの大人の短編集。




5つある短編の中でも、最も切なく哀愁漂うのが『老歌手』(Crooner)。
せつなさが、時折りみられるユーモアで調和されて、長編さながらの深い余韻が残る。


27年連れ添った夫婦が、離婚前に想い出旅行をするという羨ましい?ようなお話は、ベネチアが舞台だ。


語り手でギタリストのヤンは、そんな夫婦トニー・ガードナー(老歌手)と、妻のリンディに出会う。
彼はこの夫婦間の不可解な問題に介入するキーパーソンとなる。


ヤンは母親の影響で昔からガードナーを尊敬していたこともあり、ガードナーからの頼み事を喜んで引き受けることに。それはゴンドラ(運河の船)からホテルの部屋に向けて、妻リンディにセレナーデの歌をプレゼントするため、ギターで伴奏してくれないかという依頼。


ここで面白いのは、アメリカ人のガードナー夫婦と共産国(東欧?)出身のヤンの、ちょっとした気持ちのズレだ。
妻リンディの自由すぎる発言に、ヤンは違和感を感じる。


たとえば、
ヤネクという、ヤンのあだ名を取り上げて、
「ニックネームが本名より長いんですの?」
「そんなこともあるのね」 と言ったり、


ヤンはギタリストなのに
「噓でしょう?アコーディオンでしょう?」
「からかっているんではなくて?」
などなど、国民性の違いが、この空気を凍り付かせる。
ガードナーは無礼だと妻を何度もたしなめるのだが、効き目はない。


リンディは前の夫と離婚している。
有名人と結婚することが人生の目標であるから、人気が落ちると生きる意味さえわからなくなる。
現夫ガードナーも歌手として名声を失いかけた今、別れを決断しようとしている。


そんな彼女とは対照的に描かれているのがヤンの母親だ。過去にとらわれ、悲しみを引きずっていた母はガードナーの歌を何度も聴き癒されていた。素晴らしい影響力をもつ彼の歌声は、皮肉にもリンディにはもはや興味がないというのか。ヤンは、アメリカ人のすることはよくわからないと嘆く。


ゴンドラからのセレナーデを贈る計画は、概ね成功したといえる。
ヤンのギターと、ガードナーのささやくようなハスキーな歌声が、部屋にいるリンディの心に届く。夜のベネチアの運河をバックになんというロマンテックな時間だろう。リンディは泣いていた。


「奥様が泣いておられたのは幸せからですか。悲しみからですか」というヤンの直球すぎる問いに、ガードナーはその両方だと答えた。


長年の夫婦間のもつれは簡単に説明できるものではないだろう。しかしここで過去の栄光にすがって生きるよりも、カムバックするために妻と別れを決意し、すでに若い女に目をつけているというガードナーの吹っ切れようはお見事というか、それってリンディと同じではないか!とつっこみたくもなる。


納得のいかないヤン。
夫婦愛とはいったい何なのか、名声や富は愛情を左右してしまうのか。


「互いに愛し合っているなら、永遠に一緒にいるのではありませんか」という、再び直球を投げかけてくるヤンに、答える術はもう見つからない、、、。
なんとも切ない最後だった。



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2021.3.21 記
2022.7.31 更新