Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

ボルヘスの愛したベアトリス「アレフ」

J.L.ボルヘスの短編「アレフ」を読みました。


短く簡潔な文章で、幻想的な世界を描くという作風で知られているボルヘス
私にとっては、どの作品も決して簡潔な文章とは思えず、何度か読み返してなんとか理解できるほどのものです。


文章全体ではやや難解さを感じるのですが、簡潔なのは言葉なのだと思います。ボルヘスは自分の作品には辞書を引かなければわからないような単語を用いないようにしているそうですが、確かにそのとおりなのです。並外れた想像力や思想、そこから創出される異質な世界観を、誰にでも分かりやすい言葉でもって表現するその才能には圧倒されます。


アレフ 』 J.L.ボルヘス; 鼓直訳, 岩波書店 , 2017
(原タイトル:El Aleph,1949)


幻想小説神髄 』筑摩書房, 2012.牛島信明訳 
最終章に同じものが掲載されています。


ベアトリスとは、ボルヘスが実際に愛した人物、実在した女性の名前です。
(『砂の本』 (El libro de arena 1975) の「会議」という作中でも、図書館で出会った愛するベアトリスが登場します)


このお話の主人公はボルヘス自身で、他界したベアトリスが忘れられずにいます。
彼女と再び語り合いたいという渇望から、あるとき地下密室の「アレフ」に案内されますが、、、、。


そこで彼が見たものは

一瞬のうちに喜ばしいあるいは恐ろしい何百万もの行為

アレフ」というのはある物体の名前ですが、ここではあえて明かさないでおきます。ボルヘスの世界観を壊しかねないからです。


ひとつだけあげるとすれば、
アレフ」は「永遠」という概念をモデルにしているということです。


ボルヘスのいう「永遠」とは、過去、現在、未来を含み、父と子と聖霊からなる三位一体になぞらえています。過去は現在の中にあり、また未来も現在の中にある。摩訶不思議な、それら三つの時間のあらゆる瞬間を含む同時的存在なのです。


その同時的瞬間をとし「アレフ」に仕立て上げているということです。
宇宙のあらゆる場所、時間を含む一つの。とても想像しがたく、形而上学的な思想です。


ボルヘスは、この「アレフ」によって、あらゆる角度から、ベアトリスという女性の表層はもちろん、深層までも含んだ目まぐるしい光景を目の当たりにします。
その瞬間彼は眩暈を覚え、泣いていました。魅力的だった「アレフ」が恐怖へと変貌したのです。


人は過去を都合よく美化しながら記憶として残していきますが、良い記憶も悪い記憶も内も外も一瞬にして見せつけられてしまったら、どうなってしまうのでしょう。
「記憶は忘却を要求します」というボルヘスの名言が思い出されます。その川の流れのような作用が滞れば「記憶の人・フネス」のフネスのように死んでしまうのでしょうか。


これ以上ないほどの恐ろしい、一種の幻覚を見てしまったボルヘスは、徐々に現実をとり戻し、ようやくベアトリスの忘却を手に入れていきます。
その時のボルヘスの表現には、想像力を掻き立てられます。

歳月の悲しむべき浸食作用によって、私自身もベアトリスの目鼻立ちを歪めたり、忘れたりしている

もう「記憶を美化」することすら諦めたのだろう、
歪めることで忘却する」これも人生には必要なのだと感じます。


この作品の記憶と忘却の関係は、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を彷彿とさせます。奇しくも同名ベアトリスがプリンセスとして出てきます。




参考にした書籍






忘れられた巨人
ranunculuslove.hatenablog.com



記憶の人・フネス」↓
ranunculuslove.hatenablog.com