Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

良いことも、悪いことも、覚えておきたい『The Hired Man』Aminatta Forna

アミナッタ・フォルナの3冊目の小説『The Hired Man』(2013) を読了。

The Hired Man


この作品との出会いは、以前読んだ『ユリイカカズオイシグロの世界』 (2017) の中にありました。本作で描かれる、個人の友愛と、民族間に潜む集団的記憶が、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人The Buried Giant , 2015 とテーマ性が共通していると紹介されていたのです*。実際に読んでみると、その美しく繊細な文章と、感情を抑制した、それでいて時に冷淡で、不吉な予感のする語り口が『忘れられた巨人』のみならず、カズオ・イシグロ作品全体の雰囲気と、たしかに重なりあうのです。

著者の紹介

フォルナは、イギリスで大学教授をする傍ら、ジャーナリストとしても活躍。作家としても数々の賞を受賞されています。日本ではあまり知られておらず、和訳本がありませんが、彼女の作品と、文学への貢献はイギリスで高く評価されています。特に作品全体のテーマである記憶やトラウマは、自身の生い立ちに深く関わっているとして注目されています。スコットランドで生をうけ、幼いころ家族とともにシエラレオネへ移住。医師で政治家でもあった父が、反逆罪をとわれ、連行されたのちに絞首刑に処されたのです。この事件は、フォルナにとって忘れられない心の傷となって今も生き続けています。

簡単なあらすじ

クロアチアにある、ゴストという小さな村にやってきたイギリス人ローラと、その息子マシューと娘グレース。ローラはこの美しい村に、別荘としてに売り出すために青い家を購入したが、配水管などの修理が必要だとわかる。その修復の援助をすることになったのが、この物語の語り手、デュロ。つまり雇われた男(The Hired Man)である。近所に住むデュロは青い家を昔から知っていた。昔の恋人アンカが住んでいたからだ。ある日、娘のグレースが埋もれていたモザイク画を発見し、その修理も一緒にすることになる。それはアンカが作ったモザイク画だった。デュロはひと夏をこのイギリス人親子と共に過ごし、彼らの言動をそばで静観しながら、フラッシュバックを繰り返す。過去の人間関係、裏切り、暴力、軍隊、失恋、などが不意に思い出され、現実と過去が行ったり来たりする。山々に囲まれ、野花咲き誇る美しい土地の下に何があるのか、イギリス人一家がもたらしたものを通して、ゆっくりと明らかになっていく。

埋もれた記憶を掘り起こすこと

忘れていたことを、何でもない時にふと思い出すのはなぜだろう。その仕組みはとても興味深いとデュロは言う。まるで、扉の下に過去へと通じる無限のトンネルがあるようだと。そのトンネル内では、暗闇で行き場を失うこともあるだろうし、都合よく悪い記憶を閉じ込めておくこともできる。しかし突如、不意に光がさして、潜んでいたものが表に出てきてしまうといったイメージだろうか。


デュロが想起する陰鬱な過去は、16年前に起きたクロアチア独立戦争にまつわるものと思われるが、はっきりとは述べられていない。ゴストは、かつてはオーストリア・ハンガリー帝国の都であり人の往来が多かったが、今では一変し、多くの人が去っていった。デュロはこの村を離れずにいるのは、それが自分の望みだからといっているが、その裏では人知れず大きな葛藤に苦しんでいたはずだ。この物語を誰かに伝えなければならない、伝えるのは自分しかいないのだと、読者に主張する場面は、とても現実味があり気迫に満ちていた。魔法を利用して、人びとの記憶を奪い、平和を維持していた『忘れられた巨人』と大きく異なる部分であるが、カズオ・イシグロがいうように、個人的あるいは集団的記憶を扱うことは、とても難しい問題である。ファンタジーの力を借りてもなお難しいということを、思い起こさせるような場面である。


デュロ自身、10年間軍隊に入っていた。そこでは生きる為に必要なことを学んだ。犯罪も暴力も、生きるためなら見て見ぬふりをすることも必要だった。その経験で強くなったし、自制が効くようになった。悪友との付き合い方も学んだ。デュロは常にライフルを所持し、二匹の愛犬とともに狩りに行くことがある。親切で思慮深い彼が、ハンターへと一変する時、過去の恨みと恐怖心が滲み出る。動物を仕留めることで、小さな復讐心を満たし、心のバランスをとっているかのように感じられる。


興味深いことに、デュロは過去を現在形で語り、現在のことは過去形で語っている。現実を生きる、大切なものの優先順位が逆転しているともいえるが、それほど過去の記憶が、あまりに強烈だったということがうかがえるし、その語りは、あまりにも孤独で、あまりにも悲しいものに聞こえる。

孤独感、喪失感とともに生きる

一人でいる時間が長いと、人のことがよくわかるというデュロ。その証拠に、彼の観察力、風景描写はかなり緻密で長い。特にイギリス人一家の人間観察力はある意味不気味さすら感じるし、この物語の要となっているのではないかと思う。不気味さのひとつに、雇う人(ローラ)と雇われる人(デュロ)の支配力が徐々に逆転していく様があげられる。イギリス人が、この村の過去の惨事を知らないふりをしてやってくることは、地元民にとっては当然歓迎されない。実際ローラは、問題児の息子や、内気な娘、再婚した夫との不仲に目を背けて生きている。理想の世界だけを見ているのだ。デュロはあえてそのことは承知の上で、親身に援助していたが、孤独を隠しきれないローラはデュロに依存し始め、結果的には、恐怖を味わうような事件が起こる。ローラの無知、無関心がこの村では罪とみなされるかのように、、、。


印象深いシーンに、ゲスト(guest)とビジター(visitor)の違いについて、デュロとローラが語る場面がある。英語をあまり話せないデュロに対して、この2つはだいたい同じような意味だけれど、ゲストの方が何となく特別な感じがするんだと説明するローラ。特別なもてなしをされたいローラと、ゲストとしてもてなしたいというデュロの考えは、一見同じに聞こえるが、裏を返せば、用が終わればさっさと帰国するがいいという暗示にも聞こえ、実際は大きく食い違っている。種類は違えど、この2人は、底知れぬ孤独と喪失感を抱えて苦しんでいることが、ふつふつと伝わってくる。


たとえ二人の間に慈悲の愛が芽生えていたとしても、民族間の隔たりは簡単には埋められないということを思い知らされる。しかしこの物語をすべて吐き出したデュロはどこか晴れ晴れしていた。
そして次の言葉で終わる。

‘But I like to remember.
Not just the bad times,
but the good ones too.


(でも、私は覚えていたいんです。
  悪い時だけでなく、
  良いこともね、、、)

ローラのいた夏が終わった。
ローラの姿に、昔のアンカを何度映して見ていたただろうか、、、。


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参考文献*

カズオ・イシグロ作品解題」森川慎也(p.223)

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