Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

「記憶の人・フネス」J.L.ボルヘス 

わたしは彼をおぼえている(わたしはこの霊的な動詞をつかう権利をほとんど持ち合わせていない。この世でただひとりだけ、その権利に値する男がいたが、彼は死んでしまった)、わたしは彼をおぼえている。

から始まるこのお話、ただごとではなさそう。
その後も「わたしは(彼を)おぼえている」を数回連ねている。


霊的な動詞をつかう権利に値する男とは、
いったいどんな人物なのか。
ボルヘスらしい、独特な表現が冒頭から異彩を放っている。


「記憶の人・フネス」は、
ボルヘスの『伝奇集』岩波書店, 1993(原タイトルFicciones 1935-1944)、第二部:工匠集のなかに含まれている短編。
(『世界の文学 9 ボルヘス篠田一士訳. 集英社, 1978. も同様 )


ボルヘス自身、この作品は「不眠の長々しい比喩」であると示唆している。
その男、フネスの狂人的な記憶による悪夢のようなお話なのだ。


フネスは19歳のある日、落馬し意識を失った。
目覚めた時には知覚と記憶に驚異的能力が備わっていた。
数か国語を覚えたり、星の数ほどの数を正確に覚えていたり、一日に起きたことを忠実に覚えている。故にその一日を再現しようものなら丸一日かかるということだ。


彼は災難によってこの能力を得たことは良いことだったと強がってはみるが、徐々に様子は変化する。
記憶とは、忘却がなければゴミ同然だ。
混沌とした記憶は体内に蓄積され消えることはない。


消えなければどうなってしまうのか、
彼をみつめるボルヘスの言葉は冷ややかだ。

彼は思考についてはあまり能力をもっていなかったとわたしには思われる。考えるということは、相違を忘れること、概括すること、抽象することである。過度に充満したフネスの世界には、細部、ほとんど連続した細部しかなかった。

フネスは死んだ。
人間は忘却がなければ生きていけないのだ。
不眠のフネスは、いつも川の流れに消されていく何かを想像していたから、消そうとしても消えない記憶に苦しんでいたのだろう。


しかしボルヘスにとって、フネスという男のことは忘れないで、覚えておく権利に値するのだから、なんとも皮肉なものだ。


そう考えるとこのお話は、記憶力が優れていたボルヘス自身のことなのではないかと、思ったりする。




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