Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『サイラス・マーナー』ジョージ・エリオット

ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』を読了。


原タイトルSilas Marner, 1861
Silas Marner(classics illustrated) , 2022 の表紙の絵がとても素敵です。


Silas Marner(classics illustrated) (English Edition)



ジョージ・エリオットの作品のタイトルは、人名であったり、地名だったりするが、一見して何の名前かわからないし、どんな内容なのか想像することはもっと難しい。『サイラス・マーナー』もそのひとつだろう。本作は長編歴史小説『ロモラ』の執筆を中断してかかれたというもので、ある意味現実逃避的な、異色な中編小説となっているのではないかと思う。


なにが異色かというと、読み進めるうちに、どこか懐かしく感じられ、おとぎ話や寓話、日本昔話の世界にいるような感覚になる。特に主人公サイラス・マーナーのもとに、天使のような小さな女の子が現れるところは『かぐや姫』を連想させる。サイラスは最初、その女の子の金色の巻き毛を見て、小判の輝きだと勘違いするのだ。


ファンタジーか?と思わせる部分は他にもあって、サイラスが母から教わった薬草作りで、村人の病気を治してしまうところは魔法使いのようだし、立ったまましばらく意識を失ってしまうという発作(強硬症ともいう)は、まるで誰かに魔法をかけられたような瞬間である。この間サイラスは全く記憶が奪われてしまうのだから、物語に大きな転機をもたらすために効果的に用いられていると言えそうだ。


とはいえ、この物語は現実味も充分兼ね備えている。善人(サイラス・マーナー)と悪人(ゴット・フリー)の対照がとてもわかりやすく、善の種を蒔いた人は最後には報われ、悪の種を蒔いた人は刈り取り作業に難航するといった典型的な結末だ。また、著者が時おり出てきて道徳的な語りをするスタイルや、二人の主要人物が2重構造で展開するところは、今まで読んだ後期2作品への萌芽がみられる。


恋人と友人に裏切られ、心を閉ざしたサイラスは、ラヴロー村で機織り職人としてなんと15年も孤独な生活をする。信仰を捨て言葉を失った守銭奴のように、稼いだ小判を毎日数えては悦に浸る生活をしていた。しかし不幸なことに、その唯一の執着であったお金が、ある日全部盗まれてしまう。絶望感の中現れたのが、天使の女の子エピー。彼女を養女として育てることで、サイラスの心は徐々に開かれていく。


一方、放蕩息子として登場する兄弟は、サイラスの強盗事件と、エピーに深く関わっていた。読者としては、この2人にはただただ幻滅せざるをえない。弟の極悪さもさることながら、兄ゴット・フリーの人間性やエゴは、腹立たしいほど大胆に描かれている。善人サイラスとの対比は「失ったもの」の重大さという点でも表れているのではないだろうか。ゴット・フリーが失ったものは何だったのか、サイラスが失ったものは何だったのか、なぜ「失った」のか、気づいた時には取り返しがつかないほどの痛手を負ったのはどちらなのか、そういうことを深く考えさせられた。


さらにこの物語に深みを与えているのが、裏で支える人物、ゴット・フリーの妻モリーや、サイラスを支えた村人ドリーの存在だ。人間的な温かみがあり、善であろうと、悪であろうと彼らの背中を押し、勇気を与えてくれた。その人たちの言動から、生きていくなかでいちばん大事なものは何かということが読み取ることができる。最終的にはサイラスの執着であった金銭は戻ってくるが、もはやそんなものはもうどうでもいいのである。それを超える本物の親子の愛情、強固な絆が生まれていたのだから。


劇的な展開の末に、ハッピーエンドで終わるところは心温まり、やはりおとぎ話的に読めてしまうが、その裏では、著者エリオットの当時の私生活が影響していたり、男性の名前で活動していた所以を考えるきっかけとなる作品だと感じた。