Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『戦争のすんだ夏』"The Summer after the War " カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロ著『戦争のすんだ夏』(The Summer after the War,1983 )は、雑誌『Esquire 日本語版』1990年12月(36号) に掲載された短編小説です。
3年後に出版される『浮世の画家』の原型といわれています。


原文は、A Family Supperと共に収録されています。
(「カズオ・イシグロ秀作短編二編」深澤俊 編注 1991 )


原文、こちらから無料で読めます↓
granta.com


あらすじ

語り手イチローが、終戦後の夏に、鹿児島の祖父と過ごした日々を振り返るお話。
特徴的なのは、当時7歳だったイチローの目線で語られていることである。


祖父になついていたイチローは、毎朝庭で柔道の練習をする祖父をみていた。
絵を教わることもあり、毎日根気よく続けることが大事だと学ぶ。
しかし、イチローは祖父の絵を一度もみたことがない。


ある日、祖父の弟子が家にやってくる。
時々二人が声を荒げて話すのをイチローは聞いていた。
志那事変の只中、祖父が画家として無責任な活動をしたということで弟子と口論になっていたのだ。


いったい祖父が何をしたというのか。
7歳のイチローには、皆目理解できなかった。


それでも祖父は、イチローとお風呂に入るとき、画家として歩んだ人生を、少しづつ話してくれるようになる。幼子によくわかるようにと、自分の体験を兵隊さんにおきかえているところは温かくもあり、切なくもある。

'Very brave soldiers. But even the finest of soldiers are sometimes defeated.'(p.25)
「(日本兵は)非常に勇敢な兵士だ。
だがなあ、最高の兵士でさえ時々敗北するんだよ
'What an awful thing war is, Ichiro'(p.26)
「戦争はなんてひどいことだ、イチロー


かつて名を馳せていた画家の祖父も、日本兵同様、敗北してしまったのだろう。
イチローが理解したかどうかは不明だが、この後ヒーローものの空想劇に発展するところは、いかにも切ない。


後日、イチローはついに祖父の絵を発見する。
例の問題となった絵である。それは映画のポスターのようなもので、真っ赤な背景に、日本の兵士と軍旗が描かれていた。


隅には「日本人は前進しなければなりません」
'Japan must go forward'(p.39)
という文字。
イチローは背景の赤色から、血を連想し不安になる。幼心にも、この絵に対する嫌悪感が芽生えたことは確かだろう。


その後、祖父は倒れ寝込んでいたが、イチローが描いたカエデの木が癒しとなった。
最後にイチローは、自分も将来画家になりたいといって祖父を元気づける。

感想

著者の日本での記憶を再現したような、古き良き日本の情景が、繊細に描かれていた。イチローと祖父の会話は、平和で温かみがあり、戦争とは人生を狂わせるものだということを、優しく伝えていたのが印象的だった。


信念を持ち、国のために行動してきたことが、戦後一変し、困惑する姿や、過去の過ちを直視せず、自己正当化する老人画家の心情は『浮世の画家』の小野益次へと引き継がれてゆく。『浮世の画家』でも孫は登場するが、今度は老画家、小野益次の目線で語られている。


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2021.5.28 記
2023.11.27 更新