Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『浮世の画家』"An Artist of the Floating World" カズオ・イシグロ

浮世の画家』(An Artist of the Floating World, 1986 )は、カズオ・イシグロの2作目の長編小説。デビュー作『遠い山なみの光』に続き、戦後の日本を舞台にしています。1986年、ウィットブレッド賞を受賞。



簡単な あらすじ

老画家、小野益次は広い屋敷で一人、隠居生活をしている。孫とのふれあいを大事にする傍ら、次女の縁談が破談となったことを受け、過去に想いを馳せるようになる。15歳の時、画家になることを反対していた父に絵を燃やされた。その後、家を出て画家の人生を突き進む。浮世絵を学ぶために森田画伯に弟子入りしたが、しだいに仲間との享楽的な生活に疑問を感じ始める。そして松田という男との出会いから、戦争画家へと変貌。当時はその作風が市民に絶賛されたというが、戦後、新しい時代の流れに翻弄され、汚名を着せられることとなる。当時はそう生きるしかなかったと過去の栄光を振り返り、勝利感と満足感に浸る。しかし信頼できない小野の語りは、曖昧な記憶によって歪められていた。

原文の面白さと、ためらい橋

本作は、戦後の日本のお話を、英語で書かれ、その後邦訳されたものです。イシグロの構想は、原文は映画の字幕翻訳のような英語でなければならず、その背景に日本語が流れているというイメージ。これは原文で読む人にとって、やや違和感があるようなのです。英語を得意としない日本人でも、読みやすいとは感じるものの、なんとなくぎこちなさが残る文体となっています。


日本特有の言葉、例えば「縁側」「縁談」「切腹」「自殺」などは英語ではどう表現されているのか、気になるところです。原文をみてみると、縁側(veranda)縁談(marriage negotiation)切腹(harakiri)自殺(suicide)。そして「ためらい橋」は"the Bridge of Hesitation"。特に「切腹」は、これに対応する言葉が英語ではみつからない?ということで興味深い。


ところでその「ためらい橋」は、モデルとされる橋が長崎市に実在するようです。名前は「思案橋」。橋の向こうには歓楽街が続いて、夕方男たちが家に帰るか、夜の享楽にふけるか決めかねている様子から、そう名付けられたというということです。


長崎が舞台であるとは、どこにもかかれていませんが、著者のゆかりの地ということで、「思案橋」をイメージしたのではないかと思われます。


小野は今でも度々ためらい橋を訪れては、過去の偉業を振り返りノスタルジアに浸ります。
「わたしもときどき思案顔でその橋の欄干に寄りかかっているが、べつにためらっているわけではない(p.147)」
と何気に主張するところはおもしろく、『日の名残り』のスティーブンスのように、もしかして真逆のことを言ってないだろうか?本当はためらっていた?とつい疑ってしまう部分でもあります。


それは、その後の回想シーンで、弟子の信太郎とのやり取りの場面で明らかとなります。


信太郎は美術の教師を志しているが、過去の画家時代の活動において、小野と関わっていたこと、志那事変のポスター制作をしたことが不利になると予測していました。そして、過去を消したい、なかったことにしてほしいと小野に懇願します。困惑した小野は「なぜきみは過去を直視しない」と反論。信念をもって行動してきたことは恥ずべきことではないということを、小野はその後もあらゆる場面で主張することになります。


周囲から伝わる小野の自尊心

小野という人物は、デビュー作『遠い山なみの光』の緒方さんから引き継がれ、次作の『日の名残り』のスティーブンスに継承されているということは、イシグロ自身あらゆる場面で話されています。つまりこの三人は同人格の変奏であり、舞台や時代を超えなお生き続けるそのキャラクターは、とても興味深いものがあります。彼らはもれなく「記憶」を自由に組み替え、読者を翻弄させるのです。


「慎重な手順をとるように」
「自尊心が強すぎる」
「過去の過ちを認めないのは卑劣だ」


これらの言葉は、小野へ向けた周囲からの指摘であるが、誰から言われたか曖昧にしています。言葉だけが一人歩きし、幻聴のように降りかかってくる。それを振り払うかの如く、過去の行いをなんとか美化しようと必死に抗っていたのでしょう。孫の一郎と接するときも、なにげない会話から過去が想起され、物思いにふける場面が増えていきます。


そんな小野の心情は、現在住んでいる屋敷そのものにも反映しているように思われます。杉村家から賞賛を受けて買い取ったその屋敷は、当時は人も羨む門構えであったけれど、空襲によりガタがきて、今では修理をしなければならない状態。小野の自尊心が瓦解され、寂しさや孤独感が増していく様が、屋敷の様子からもみてとれます。


松田との出会が人生を変えた

森山の弟子として浮世絵を修行中は、師匠の画風を受け継ぐことは当然のことでした。その画風とは、ヨーロッパ風の色彩を織り交ぜた幻想的なもの。


しかし松田という人物との出会いを境に、小野の画風は明らかに変貌していきます。松田と見た、路地裏の貧しい哀れな暮らしぶりに衝撃を受け、問題となった絵を制作することに。その絵には、竹刀を持った勇ましい少年3人と、豪華なバーで談笑する男性、加えて日本精神を鼓舞するかようなキャッチフレーズが描かれていました。


この絵にショックを受ける同僚と師匠。「裏切者」といわれ絵は取り上げられ、おそらく燃やされたのでしょう。父親にも燃やされた、あのトラウマが不意に蘇るのです。


小野は次のような発言をして師匠の下を離れていきます。

現在のような苦難の時代にあって芸術に携わる者は、夜明けの光と共にあえなく消えてしまうああいった享楽的なものよりも、もっと実体のあるものを尊重するよう頭を切り替えるべきだ、というのが僕の信念です。(略)ぼくはいつまでも「浮世の画家」でいることを許さないのです」(p.267)

「浮世」floating worldとは、美しく享楽的な意味をもつ一方で、儚さ、この世の無常という意味もあります。本作のタイトルは、その両方の意味を含んでいるのではないでしょうか。浮かれたの中の生活から脱しなければならない。戦争は、世の中も人も無常にさせるけれど、画家として使命を果たすことが日本の為になるならば、たとえ悪事をはたらいたとしても、誇りを持ってい生きていけるのではないかという、ある意味、純粋無垢な信念が読み取れます。

全ては父への復讐だった?

小野の語りの中には、カメさんこと中原と、弟子の信太郎が頻繁に登場します。小野を尊敬し賞賛する二人の言葉は、我が栄光を浮かび上がらせてくれるとっておきの存在です。常に脇に置いておきたかったのでしょう。しかし読み進めていくうちに、あることに気がつきます。この二人の姿こそ、小野の父親が理想とする青年像ではないかということ。


振り返ってみると小野の父親は、かつて修行僧に助言されていました。息子(小野)は性格の弱さから怠け癖を生む、弱みが表に出そうになったらすぐに抑えなければ、ろくでなしになると。
そのため、息子の怠慢や意志の弱さを正し、自慢できるような人間に育てようという義務感を感じていたはずです。


自慢できる人間とは、この二人のように、不器用であっても周りに流されない、それでいて愛嬌がある、礼儀正しい人柄。信太郎に限っては、すでに美術界から離脱していますが「絵描きども」はろくな人間にはならないと侮辱した父にとっては、二人はまさに理想の鏡だったです。


小野はそれに気づいていたからこそ、都合よく利用する傍ら、世間知らず、消極的、野心の欠如などを挙げ、内心見くびっていた、あるいは嫉妬していたと考えられます。


もうひとつ気になるワードといえば「野心」です。
野心を燃やす」とはどう意味か、、、。


「お父さんが火をつけたのは、僕の野心なんだ」
「お父さんが燃やすのに成功したのは僕の野心だけだ」
と繰り返し言っていたのは、、、、。


絵と一緒に野心も燃やされた、
という意味だではなく、
絵を燃やされたことによって野心に火がついた!ということでもあります。
絵の焼却は、小野の野心の起爆剤にしかならなかったのです。


野心を燃やし、画家人生を全うしてこられたのは、心の奥底でメラメラ燃える「父への復讐」があったからともいえそうです。だとしたら、最終的に小野がかみしめる「勝利感と満足感」は、紛れもなく父親に向けられたものだったのでしょう。


感想

人は真実を突きつけられた時、どれぐらい品位を保てられるか興味があったというイシグロ。小野のように、まっすぐで不器用な生き方は、実は私たちみんなが持っている一部分であり、普遍的な人間の姿です。そんなところを否定せず、品位をもって、そっと見守る著者の思いに温かみを感じます。人生は儚くて短い、やり直すには遅すぎる場合もあるけれど、きっとうまくいく。イシグロの作品は、様々な解釈の可能性と、せつないけれども最後には明るい未来が用意されています。そんなところに魅せられ、本作も間違いなく何度でも読み返したくなる作品だと感じました。



短編『戦争のすんだ夏』は、本作の原形としてかかれたものです。↓

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2021.5.30 記
2023.11.24 更新