カズオ・イシグロ著、A Family Supper『ある家族の夕餉』あるいは『夕餉』は、雑誌『Quarto』(1980) に収録された短編小説です。デビュー作『遠い山なみの光』(1982) の約1年前になります。
のちに雑誌『Esquire』(1990) に再録され、こちらはネット上で読むことができます↓
原文はこの2冊に含まれています。
●The summer after the war ; A family supper ,1990
●The prophet's hair : and other stories, 1994
邦訳は以下3つに収められています。
●雑誌『すばる』(1984年2月号)
夕餉 / カズオ・イシグロ著 ; 出淵博訳
●『集英社ギャラリー[世界の文学]5 イギリスⅣ 』(1990)
夕餉 / カズオ・イシグロ著 ; 出淵博訳
●『しみじみ読むイギリス・アイルランド文学』(2007)
ある家族の夕餉 / カズオ・イシグロ [著] ; 田尻芳樹訳
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「家族の夕餉」ということで、誰もが想像するであろう平和で温かい日常の食卓。
ところがそこは、さながらホーンテッドハウス。
じわりじわりと読者を恐怖に陥れる罠が潜んでいるのです。
表層と深層のギャップ。
不穏な空気が後を引きます。
デビュー前にして、はや異彩を放つカズオ・イシグロ。
本作はまさに、イシグロ版ミステリー小説といえそうです。
あらすじ
季節は晩秋。
鎌倉の屋敷で隠居生活をしている父のもとに、「ぼく」(語り手)と妹のキクコが久しぶりに帰省する。
母は2年前にフグを食べて中毒死した。
父の会社は倒産し、同僚は一家心中したという背景がある。
戦後の日本は、明らかに西洋の考えに傾倒しつつあり、父は時代に取り残されような孤独感を背負っていた。
一方で、アメリカ在住の「ぼく」と、今まさに渡米を計画している妹からは、未来への展望がうかがえる。どちらか一人でもこの家に戻ってほしいと期待する父と、そんな気などさらさらない子供たちとの隔たりは、沈黙という名の冷戦を繰り広げている。
「ボク」と妹は、久しぶりのに会ったので、つい縁側で話し込んでしまった。その間、父は料理の支度をしていて、鍋料理が食卓へ運ばれる。
ちょうどその時、「ぼく」は壁に映る白い人影をみる。
幽霊か?母の亡霊か?はたまた、、、?
静かな食事が始まり、「ボク」は父に質問する。
「この魚はなに?」
父の答えは「ただの魚だ」というだけ。
それなのに「お腹へっただろう、もっと食べなさい」と何度も言うのだった。
さて結末はいかに、、、。
戦後の日本のミステリー
まず冒頭から、フグの説明が約1ページに渡って続いている。当時、家庭でフグ料理を振舞うことが流行したこと、内臓の除去のしかたや、毒のこと、もし毒にあたったら、数時間で死に至ること、などが淡々と述べられている。日本以外で読まれることを前提とすれば、このような説明は当然のことかもしれないが、それだけではなさそうだ。終始「死」のイメージがつきまとうのは、庭にある井戸や、幽霊、一家心中の話題が次々にでてくるからだろう。
父の見解では母は自殺だったようだ。父にとって自死とはどのような位置づけだったのだろう。同僚の一家心中については、勇敢な死だったと思わせるような口ぶりだ。国のために命を捧げることは誇りだと考えているが、戦争での集団自死と、同僚の一家無理心中を同一視している。それなら母親はどうか。悩みや心配事をかかえていたとはいえ、故意にフグを食べ、死を選んだというのか。それとも単なる父の偏見か、思い込みか、謎は深まるばかり。
薄暗い灯りの下で、鍋料理を食べる親子。この魚は何なのか、フグなのか?父の顔に映る不気味な影も手伝って、読者の恐怖はここでピークに達するだろう。
・My father's face looked stony and forbidding in the half-light.
・One side of his face had fallen into shadow.
怖い、、、。
このとき冒頭の説明が生きてくることになるが、仮に家族がフグを食べて毒がまわっても、死に至るのは数時間後というわけで、わたしたちが結末を知る術はない。
そして物語は、父と「ぼく」の前向きな言葉で終わる。
’Things will improve then.’
'Yes, I'm sure they will'
しかし「うまくいく」とは?、、、どっちの意味で?
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同じくミステリー調の短編が、デビュー前に書かれています
ranunculuslove.hatenablog.com
2021.5.10 記
2023.11.27 更新