Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

トールキンの寓話『ニグルの木の葉』Leaf by Niggle

J.R.R. トールキンの『ニグルの木の葉』(Leaf by Niggle , 1945) は、
大人のおとぎ話のような、とても深いおはなしです。


あらすじ

二グルは無名の絵かきだった。
親切心が過ぎて、頼まれごとを断れない。
いつか長い旅に出なければならないのに、
描きかけの絵があって、先延ばしにしている。


二グルは木よりも葉を描くことが好き。
一枚の葉をひとうひとつ丁寧に描き、木全体を創造する。
根をはり、枝をはり、背景まで浮かび上がらせる。
カンバスは大きくなりすぎて、ハシゴが必要になった。


夢中になって描いていたので
人からの頼み事を疎ましく思うようになった。
仕事に集中したかったのだ。


ところが次々に舞い込んでくる雑用。
いちばん困ったのは足の不自由な隣人パリッシュ。


病気の妻のために医者を呼んできてほしい、
雨漏りするから、君の大きなカンバスを貸してほしい
と無茶な頼みごとをする。


雨のなか二グルは医者のもとへ走り、
ついに風邪をひいて寝込んでしまう。


そこへ家屋検査官がやってくる。
隣の家が雨漏りだ、その大きなカンバスをよこしなさいと。
そんなことはできないと断る二グル。


すると突然黒い服を着た運転手がきて、
旅に出るんだ、車に乗りなさいという。
まだ絵が完成していないというのに!


着いた先は救貧院。
そこで重労働を強いられた。
くたくたになって休息していると、
二つの声が聞こえてくる。


第一の声
あいつ(二グル)はどれほど時間を無駄にしてきたか
成すべきことを怠ってきた


第二の声
しかし大きなことをしでかしたわけじゃない
かなり多くの要求には応えたはず
だから、おだやかな扱いを


第一の声
よし、次の段階に進ませよう


二グルは解放された。
駅員の誘導で汽車に乗る。
この汽車はどこ行きなのかね?


さあね、、


そこは草原だった。
どこかで見た風景、この大きな木、
二グルが描きかけていた木だった。
鳥も、遠くの山々も、あの時のまま
二グルは自分が描いた絵の中のにいたのだった。


贈り物だ!


風景を眺めていると、完成していない一部をみつけた。
二グルは再び絵を完成させようとするが、
なにをどう進めていばいいかわからない。


そういえば隣人のパリッシュ。
彼はどうしてるだろう。
自分には彼の助けが必要なんだ!


パリッシュが現れ、2人は仲良く共同作業をはじめた。


2人には同じ薬が与えられていた。
仕事が終われば散歩に出かけよう。


2人は出発し、ある国境にやってきた。
ここは「二グルの国」だったんだ。


ここから先へ行きたい二グルと、
まだ行きたくないパリッシュ。


しかたない、
二グルだけが道案内役と一緒にいってしまった。
山の方へ向かいどこまでも登っていった。


その後二グルがどうなったのかは、
誰も知らない。


解題

人はだれしも怠けたい欲があり、ちょっとだけダラダラしようとゴロゴロしていたら、思いのほか時間がたっていたりします。心を鬼にして動き出そうとしたら、ちょうどそこへ邪魔が入って、やるべきことができなかった経験、みなさんにもあるのではないでしょうか。わたしもあります。


出かける準備をするとき、家事を始めようとするとき、寝ようとするとき、そんなときに限って子供が泣き出したり、一人寝ねかしつけると、もう一人が絵本を読んでほしいとせがむ。子供の話ばかりですが、思い出せることはこんなことばかり。いま手を止めて子供たちと向き合うことが大事だと頭ではわかっていても、一日中それが続くと途方に暮れることもありました。


人生で与えられる時間は限られているからこそ、焦ってしまうのです。


それでも、子供が吐きそうになったら両手を差し出すだろうし、雨が降ったら一本の傘を与えるでしょうし、地震がきたら迷わず我が身を盾とするでしょう。


わたしの例はさておき、なんとなくおわかりいただけると思います。二グルに欠けていたもの、成すべき時に成さなかったこと、大切な人のこと、時間のこと、、、。


二グルが先延ばしにしていた旅とは、死を意味するでしょう。運転手に連れていかれた先は、ダンテの『神曲』でいう煉獄のイメージ。自分と向き合い、無知と欲を見つめなおす場所。聞こえてくる声はおそらく神とイエスの声だと考えられます。二グルはようやく解放されたわけですが、そこはいわゆる死後の世界。あの世でやっと、二グルの絵が現実化された素敵な場所が用意され、「贈り物」という名の「救い」と「喜び」を得ることができたのです。


実は物語はこのあと少しだけ続きます。現実世界ではその後、二グルの絵は隣人の屋根の修復にあてがわれた末に、風に飛ばされてしまいました。一部分だけが拾われて美術館に展示されましたが特に注目されることなく、その美術館も焼失し、跡形もなくなってしまったのです。二グルが大切にしていた木の絵は、他人からすれば、たいした意味をもたなかったのです。絵そのものより、雨除けの道具として価値を見いだされたわけです。この価値観のちがいというのは、どんな場合でも切ないものですね。


最後に3人の人物が会話をするのですが、この3人はいったいどういう関係なのかよくわかりません。ですが、二グルとパリッシュを知る人たちのようで「ふたりとも笑った、笑った、、、」と明るく幕を閉じるところは、作者トールキンらしいといいますか、トールキンンが想像する「妖精物語」のお約束なのです。


この本の中には、トールキンのエッセイ『妖精物語について』が含まれています。「妖精物語」とはなにかというトールキン独自の世界観が述べられています。これを読めば「妖精物語」そしてファンタジーの概念が大きく変わるのではないでしょうか。そして『二グルの木の葉』は、トールキンが説く準創造についての思想を具体化した物語だということを知ることができるのです。合わせて読んでみることをおススメします。


※準創造とは
「芸術」の「創作」と呼ばれる行為である。現実社会でさまざまな制約のもとに生きている人間は、神から与えられた抽象、帰納、想像力、空想力などの諸能力を行使することによって、この世の「時」の外に第二の世界を創り出すこと。そしてその世界において願望の実現をはかり、現実世界における制約を乗り越えようと試みる行為である(「妖精物語について」訳者あとがきを要約)。


トールキンがつくった『ホビットの冒険』(The Hobbit , 1937) や『指輪物語』(The Lord of the Rings , 1954~1955) の緻密で壮大な世界観も、この準創造を基にされていているのですね。トールキンの作品群は、跡形もなくなった二グルの絵とは異なり、これからも永遠に生きつづけるでしょう。



原作にはその他3つのお話とポエムが入っています。
Poems and stories ” J.R.R. Tolkien , 1980
illustrated by Pauline Baynes

目次
・The Adventures of Tom Bombadil
・The Homecoming of Beorhtnoth Beorhthelm's Son
・On Fairy-Stories
Leaf by Niggle
・Farmer Giles of Ham
・Smith of Wootton Major