Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『ミドルマーチ 』ジョージ・エリオット

ジョージ・エリオット作『ミドルマーチ 』。
(廣野由美子訳:光文社 , 2019 1~4巻)
原タイトル Middlemarch, A Study of Provincial Life, 1871


以前から気になっていた『ミドルマーチ 』を読了した。
もっと早く読むべきだった!と後悔してしまったが、いま出会ったからこそ深く心に刻まれ、忘れがたい作品となった。ジョージ・エリオットは、ヴィクトリア朝を代表する女流作家で、本作は彼女の最高傑作。あのヴァージニア・ウルフも「大人のために書かれた数少ないイギリス小説のひとつ」と絶賛した。時代や国を超え、これほど長く読み継がれてきたのは、現代の私たちにもあり得る普遍的な内面(欲、葛藤、挫折、嫉妬、偽善、自己矛盾など)とどう向き合い、模索し、より良い生き方を見出すのかという過程に共感し、その精緻で豊かな心理描写に、誰もが引き込まれていくからだと思う。


「重荷を負う者を、哀れむがよい。そのような災難が、あなたや私のもとにも巡って来るかもしれないのだから。」(4巻・第73章・序)


後半部分で登場する、この語り手からのメッセージに、はっとさせられる。「重荷を背負う者」とは何だろう。この物語は結婚を境に、あるいは配偶者への慈悲により、思わぬ方向へと傾いてしまった人たちの2通りの人間模様が描かれている。何不自由ない生活が一変し、理想と現実の壁、嫉妬、自己嫌悪、自己欺瞞、罪などの苦悩をかかえ堕落していく人たち。もうひとつは、若い時代に挫折や裏切りに苛まれながらも、身の丈に合った努力を惜しまなかった結果、結婚が叶い、愛する人と幸せを分かち合うことができたという人たち。これらの人びとを対比して、どちらが幸せかを考えることは無意味なことであるし、結婚は人格をも変貌させるのだという戒めでもないだろう。人生において「重荷を背負う」ことは時期や程度の差こそあれ、生きていればだれしも経験するものであり、だれしも悩み、だれしも乗り越えていく普遍的なものなんだと捉えると、このメッセージは単なる脅しではなく、どこか温かいものに感じられる。


舞台は1820年代後半、イギリスのミドルマーチという地方都市。そこに住む中産階級の人々の生活を、語り手が俯瞰し、鋭く洞察していく。それはまさに本作の副題の通り「ある田園生活の研究 (A Study of Provincial Life)」である。登場人物を淡々と語り、ときに批判的に、ときに共感しながら、代弁していくスタイル。そして必要あらば、「わたし」「わたしたち」となって表に出てきて熱く語りだしてしまうところは、少々違和感があるが、そこがおもしろいところでもある。巻末の読書ガイドによると、この語り手は「全知全能の存在であり、エリオット自身と同一視するべきではない」としている。それでも著者の思いは、ミドルマーチという一風変わった地方都市の名に表れているように思う。march すなわち「前進しなければ」とか「前に進むために」といったフレーズが随所に潜んでいる。この時代、この土地ならではの風習、世間体、政治、社会にとらわれず、たとえ困難でも自分らしい生き方を追求していくべきだという、ジョージ・エリオット自身の思いが詰まっているのではないかと感じた。(彼女もまた、型にはまらない、知的で斬新な生き方だったから)


この物語は、三組の男女の生き様を軸に、さまざまな人々が交差する。
主人公ドロシアと、学者カソーボン、
医者リドゲイトと、高貴な女性ロザモンド
長年の愛が実るフレッドとメアリ。
元々この作品は、ドロシアを主役にした『ミス・ブルック』と、
リドゲイトを主役にした『ミドルマーチ』を融合させた作品であるから、自ずとこの二人の運命が中心となって展開していく。


多感なドロシアは、自らの知的好奇心を満たしたい欲望から、年の離れた学者カソーボンと結婚する。ところが、空虚な夫の研究に早々に幻滅。彼を支えたい熱意を持て余しているうちに夫が病死する。一方、医者リドゲイトは、研究熱心で、大いなる野望と先見の明を持っていた。結婚は考えていなかったものの、あるきっかけにより、美貌と音楽の才能に長ける良家のロザモンドと結婚。世間知らずで無神経なロザモンドは、夫が窮地に追いやられても無関心だった。誰が悪いでもなく誰もが充たされな思いを抱えていた。

結婚は今もなお、家庭という叙事詩の始まりなのである。結婚とは、二人の人間が一体となり、歳月を経て頂点に達し、年をとって共通の楽しい思い出を刈り入れるという結合だが、次第にそれを勝ち得ていくか、あるいは、取り返しがつかないほど敗北するのか、叙事詩のごとく謳い上げられるのだ。
ある人たちは、昔の十字軍戦士のように、希望と熱意という壮麗な鎧を身にまとって出発するが、夫婦の互いに対する我慢が足りなかったり、世間画への忍耐が欠けていたりしたために、途中で挫折してしまう。(4巻、p415)

なんという美しくも儚い一節だろう、、、。


夫の病気がきっかけで出会ったドロシアと、医者のリドゲイトは、ある時強烈に引き付け合う。夫の研究を助けたい、私になにが出来るか教えてほしいといったドロシアの激しい叫びが、リドゲイトの魂を呼び覚ましたのだ。研究へ没頭したいリドゲイトにとって、皮肉にも、これほど理想的な女性はいないのではないか。しかし物語はそんなに単純ではなく、この2人が結ばれることはなかった。その代わりに、お互いを理性で埋め合わせるかのような確かな信頼関係が築かれていく。借金と、裏切りで苦しみのどん底にいるリドゲイトと、困っている人を支援したいと渇望するドロシア。そこに生まれたのは、性別や職業の枠を超えた、人間同士の強固な絆だった。物語の佳境というのにふさわしく、個人的に最も感動した場面だ。


リドゲイトは、この絆のおかげで人生が上向いていく。ドロシア自身も、実は内面に存在する自己矛盾を抱えていたが、世間体や財産を捨て、前に進むことを決意。それにまつわる人間関係もまた、重層的に入り混じり、とても読みごたえがあった。挫折を経て、現実に折り合いをつけていく、そして自分にできること真摯にとりくみ、社会にささやかな貢献をすることに価値を見出していくミドルマーチの人びと。彼らは感情を抑制することと、徹底的に議論することの両方をうまく調和させていたように感じる。時に主張が強くなるドロシアでさえ、分別ある周囲の人に支えられ、成長できたのではないだろうか。


「ある田園生活の研究」はこのような言葉で締めくくられる。

世の中がだんだんよくなっていくのは、
一部には、
歴史に残らない行為によるものだからである。
そして、
私たちにとって物事が思ったほど悪くないのは、
人知れず誠実に生き、
誰も訪れることのない墓に眠る、
数多くの人々のおかげでもある
(4巻 p430)

目まぐるしく展開した物語の末に、平穏が戻ったミドルマーチ。派手なハッピーエンドではないものの、かすかな光が射しこむ。静かで淡々とした一節に、なんともいえない余韻が残る。



最後に本の紹介。
ジョージ・エリオットの本名はメアリー・アン・エヴァンズ(Mary Anne Evans)。
男性の名前で作家活動を始めた所以や、影響を受けた作家など、偉大な小説家の生き様が詳しく書かれている。主人公ドロシアと重なる部分もあるように思う。