Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『ダニエル・デロンダ』ジョージ・エリオット

世の中には避けがたい不運というものがあって、
一方の得がもう一方の損である、、、、、
こういうことは出来るだけ少なくしたい。
こういうことを募らせておもしろがることがないように、、、

主人公ダニエル・デロンダが、ヒロインのグエンドレンに向けた言葉である。


ジョージ・エリオット最後の小説『ダニエル・デロンダ』。
個人的には『ミドルマーチ』を超える勢いで心に迫るものがあった。

(原作:Daniel Deronda, 1876)


この物語のキーワードとなるのは「押しのけられた人」と「支配」。
冒頭シーン、グエンドレンが賭博場でルーレットに夢中になる場面が早くも伏線となっているが、自分の幸福(得)のために誰かが不幸(損)になるという構図は、世のいたるところで繰り返され、人生を一変させるものでもある。


富と権力を得るため他者を押しのけた人、
相手の嫌がることをして己の支配欲を満たした人、
別の人の幸福によって不幸に落とし込まれた人、
親の支配によって家族と生き別れてしまった人、
このように挫折した人びとが、自己の内面と向き合い、いかに人生を上昇させていくかということがテーマとなっている。それは決して賭博や人生ゲームのような夢の大逆転とはならず、苦がともなう道徳的、宗教的な道のりだった。


ダニエル・デロンダは主人公でありながら、前半部分は影を潜め、まるで傍観者のようにグエンドレンを観察する。自我の強いグエンドレンと、奮い立つ情熱を抑制したデロンダ。二人は賭博場で運命的な出会いを果たし、熱愛と言ってよいほどの激しい感情が通い合っていたにもかかわらず、それぞれ別の人と結婚する。個々の独立した物語が二重構造となって展開していくところは『ミドルマーチ』と同じものを感じる。


それぞれの物語は、単独でも充分成り立つほど劇的なものである。それでもやはり主人公はデロンダで、タイトルにもなっているのだから、著者のデロンダへの思い入れは大きいのだと感じる。デロンダは深い同情心をもつ、抑制のきいた紳士。まるで神や仏様のようだ。実際、妻となるユダヤ人娘マイラーからは、「あなたはお釈迦さまのようなかたですね」と言われる。しかしその下には熱い騎士道精神を秘めていた。イギリス人準男爵のもとで育てらたデロンダは、実はユダヤ人だったと実母から告白されたことで、これまで漠然と不安を感じていた自己のアイデンティティ確立について考えなおす転機となる。ユダヤマイラーと結婚、その兄、モーデガイの思想に憧れ傾倒していく。そしてついにユダヤ人国家再建のため3人で東方へ向かうことを決めるが、、、、。


注目すべきはグエンドロンとの関係だ。結婚後もデロンダは彼女を決して見捨てなかった。デロンダの大きな人間愛、博愛主義に感動する部分だ。打算的な結婚により不幸に落とし込まれていたグウェンドレンを憐み、デロンダは数々の助言を与える。

自分以外の人たちの生き方もごらんなさい。
その人たちの苦しみは何なのか、
どのようにそれに耐えているか考えなさい。
小さな欲望の満足ばかりでなく、
この広い世界の何かに関心を持つようにしなさい、
・・・・・・・・

結婚は、損得勘定でするものでもなく、相手を支配するためでもない。他人を押しのけてまで手にした幸は、いずれ押しのけられてしまう、、、、。


東洋と西洋、キリスト教ユダヤ教、どちらかを押しのけるのではなく両者をうまく織り交ぜたデロンダの思想は、広い視野をもつ理想主義でもあり、あまりにも美しい。デロンダの愛は、個人的なものではなく、もっと大きなものだった。立場や、民族性、男女の壁を越えたもの、己を無にしてまでも相手に同情する、まさにお釈迦さまのような慈悲愛である。


愛そのものはなんのためなのか?
最愛のひとのためなのか?
というデロンダの問いがあとをひく。



余談になるが、本書は『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)の作中で、主人公キャシーが読んでいた本である。イシグロさんは『ダニエル・デロンダ』に暗示的な要素はないと述べていたものの、いくつかの関連性はあるなあと感じた。


「どのみち、提供を終えて死ぬだけなら、なぜ読書や絵をかかせるのですか」
というキャシーの悲痛の問いが、


「どのみち幸福は望めないのに、なぜ人を愛してしまうのか」という本書の問いにそのままシンクロするからだ。


献身的なデロンダは、キャシーに通じるし、自己中なグエンドレンは、ルースそのものだ。なによりクローン人間自体が、人間の支配下に置かれた押しのけられた存在ではないだろうか。いずれ死ぬ人生でも、愛することを辞めず、より豊かに生きるために、どうすればいいか模索するところも同じものを感じる。


また本書は以下のような言葉が頻繁に登場するところも気になった。
「わたしから目をは離さないで」
「目を離さないでいた」
「私から離れないで下さい」
「わたしを見放さないで」
「手を離そうとしなかった」

イシグロさんはこれらの言葉に魅了され、『わたしを離さないで』という架空の曲をカセットテープに忍ばせたのだろうかと、また勝手な想像が膨らんだ。


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