Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

“I would prefer not to.”『書写人バートルビー』ハーマン・メルヴィル

ハーマン・メルヴィルといえば『白鯨』(Moby-Dick; or The White Whale , 1851 )ですが、私はまだ読んだことがありません。今回はその2年後に書かれた短篇「書写人バートルビー」(Bartleby, the Scrivener: A Story of Wall Street , 1853 )を再読してみました。実は『白鯨』より面白いのではないかとささやかれていてるのです。前回のホーソーンの「ウェイクフィールド」もしかり、米文学のマスターピース、一度読むと忘れられないような奇抜さがあります。しかも面白い。それもそのはず? メルヴィルホーソーンとお友達であり、多大に影響を受けたといわれています。私が読んだのは、以下の2冊に収録されているものですが、他1冊を含め、和タイトルがそれぞれ違っているのが興味深いですね。


『書写人バートルビー――ウォール街の物語』
柴田元幸


『代書人バートルビー
酒本雅之訳


『書記バートルビー
牧野有通


簡単なあらすじ

舞台はニューヨーク、マンハッタンにあるウォール街。ここで法律事務所を営む語り手がいる。不動産譲渡取扱、土地財産所有権取扱などの文書作成が主な仕事だ。個性豊かな3人の雇人がいるが、繁忙期のためもう一人雇い入れることになった。そこへやってきたのがバートルビーだ。彼は堅実で品はいいし、仕事は完璧。しかし担当外の仕事を頼まれると、彼は必ず「そうしないほうが好ましいのです」といって協力しない。ある休日、語り手が教会へ行くついでに事務所へ寄ってみると、そこにバートルビーがいた。もしかして事務所に住んでる? というわけで出ていくように言われるが「そうしないほうが好ましいのです」という。だんだん仕事もしなくなり、窓の外の建物をぼーっと眺めるだけ。ついに解雇を言い渡されるが「そうしないほうが好ましいのです」といって立ち退かない。それなら自分が出ていくといって語り手は他に事務所を借り、警察に通報。バートルビーは墓場(刑務所)に連れて行かれ、食事を拒み続けとうとう死んでしまう。最後に、バートルビーの前職について意味深に付け加えられている。彼は配達不能郵便取扱課で働いていたとうことだ。(言うに及ばないが、配達不能郵便とは、住所不定で配達することもできなければ、戻すこともできない郵便のことで、行き場を失った手紙である、英語ではDead Lettersという)

I would prefer not to. が伝染する社会

なんという救いようのないお話だろう。
語り手は、バートルビーのような堅実で品のある人材は貴重だと思い採用したのに......。特に気性の激しい雇人2人に良い影響を与えるのではないかと思っていたのだ。しかし実際はというと、バートルビーは明らかに場の空気を乱していた。しかも口癖であった「そうしないほうが好ましいのです」という言葉が、知らず知らずのうちにみんなに伝染していったのだ。語り手も「~ほうがいいんだけどね」とか「そうしてもらいたいんだが」という口調になり、雇人たちも「失礼ながら」と冒頭につけたり「~したほうがいい」「~しない方がいいと思います」と無意識に言うようになったのだ。表向きには、このような物腰柔らかな物言いは、平和的ムードを印象付けるが、裏を返せばやる気のなさや虚無感を露呈しているのだ。

しかし「そうしない方が好ましいのですが」というのは、あまり日常的に使う言葉でもないように思う。原文では「I would prefer not to」となるようだが、柴田氏以外の歴代の訳者はどう表現しているのか気になったので、簡単に調べてみた。
以下、時系列でピックアップしたもの。

●「~したくはありません」北川悌二訳
バートルビー」『バートルビー・船乗りビリー・バッド』,南雲堂,1960.
国立国会図書館デジタルコレクション )

●「あまり気が進みません」土岐恒二訳
バートルビー」『世界文学全集』39 ,集英社,1979
国立国会図書館デジタルコレクション )

●「ぼく、そうしないほうがいいのですが」坂下昇 訳
バートルビー」『幽霊船』,岩波書店,1979
国立国会図書館デジタルコレクション )

●「その気になれないのですが」杉浦銀策 訳
バートルビー」『乙女たちの地獄 : H.メルヴィル中短篇集』1,国書刊行会,1983
国立国会図書館デジタルコレクション )

●「せずにすめばありがたいのですが」酒本雅之訳
「代書人バートルビー」 『バベルの図書館 9』,1988

●「しないほうがいいのですが」高桑和巳訳
バートルビー 新装版』月曜社, 2023


う~ん、なるほど。
若干の相違はあれど、こうして列挙するとなんとなく雰囲気がつかめてくるから面白い。このような「やんわり拒否」から伝わってくるものは、事務所のみんな、ひいては社会全体をみくびったような、諦めに近い態度である。バートルビーの目線の先にあったウォール街の殺伐としたビルは、そんな彼の虚無感、孤独感を反映しているようだった。


絶対的な拒否は死を招く「マイケル・K」の先駆者?

バートルビーは、法律事務所に住むつくようになってからは、ジンジャー・ナッツ(ショウガ入りビスケット?)しか口にしなかった。おそらく最年少の雇人から仕入れたものだろう。バートルビーは、ずばり浮浪者だったのだ。語り手は哀れみの気持ちでもって彼に寄り添い、親身に話を聞こうとするのだが、バートルビーは心を開くことはなく、あらゆる救済を拒否する。刑務所に入っても、何も口にすることはなかった。そこで思い起こされたのは、しばらく前に読んだクッツェーの『マイケル・K』である。マイケルも終盤は何も口にしなかった。心の病、摂食障害という枠に入るのかどうかわからないが、孤独の先に、外とも内ともコミュニケーションがとれなくなってしまう主人公の結末がとても似ていて、いたたまれない。

生きていた手紙が燃やされる

前職の配達不能郵便取扱い業務が、バートルビーを狂わせたのは明らかだろう。住所不定の手紙と、住所不定の浮浪者バートルビーを重ねてみれば、この物語の真髄がスルスルとみえてくる。つまり行き場のない手紙(人)は燃やされる(死ぬ)、救済することもできなければ、救済される意味もないという不条理さを描いているのだ。手紙に、たとえ大切な何かが入っていたとしても、届かなければ何の価値もない。たとえ紙幣が入っていても、行き場はない。そのお金で救われるはずだった命も死んでしまったかもしれない。吉報を待ち続けた人もいずれ死んでいくだろう。生きていた手紙をこの手で焼却することを生業にしてきたバートルビーは、その赦しを乞うために死を選んだのだろうか。「ああ、バートルビー! ああ、人間とは!」という語り手の結末の叫びが、いつまでもこだまするように心に残る。



エンリーケ・ビラ=マタス著『バートルビーと仲間たち』では、何も書けなくなった人、沈黙し続ける人を「バートルビー症候群」と称しているそうで、とても気になる。


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