Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

映画『生きる・LIVING』を鑑賞

カズオ・イシグロ脚本の映画『生きる・LIVING』を観ました。



この映画は言わずと知れた、黒澤明監督の日本映画『生きる』(1952) をリメイクされたものです。


さらに言うと、黒澤版『生きる』は、ロシアの文豪トルスロイ著『イワン・イリッチの死』Смерть Ивана Ильича (1886年)の翻案だということで、ロシア→日本→イギリスとグローバルに語り継がれている名作だといえます。
(『イワン・イリッチの死』も非常に面白いので、また回を改めようと思います)


只今絶賛公開中ですので、ネタバレはしませんが、これから観る人のためにいくつかポイントを挙げたいと思います。

余命を知って初めて「生きる」

本作は、死にまつわる物語です。死にゆく運命というのは、生をうけた人間全てに与えらえたものですが、健康な人であれば、自分はどんなふうに人生を終えるのか考えることもないし、ましてや自分が死ぬなんて思ってもいないでしょう。


主人公で公務員のウィリアム(ビル・ナイ)もそんな一人であり、繰り返される毎日を淡々と生きていました。しかしあるとき余命を知ることになり、彼の中で何かが壊れます。


本当の意味で「生きる」ようになるために、心を大きく突き動かされたもの(人)が何なのか、誰なのか、あるいはどんな瞬間なのか、、。ウィリアムはあくまで紳士然としているので感情はよみにくいですが、よく観察しながら観ると、おもしろいと思います。

黒澤版との違い

これは黒澤版を観ていなければわからないことですが、イシグロが意図的に脚色した部分がいくつかあります。


ウィリアム演じるビル・ナイが彩る世界観に必要なもの、必要でないものといった取捨選択は、イシグロがこれまでの小説に込めたきたテーマ性を孕んでいます。ヒントは主人公が歌う唄「ナナカマドの木」にあります。

後輩ピーターへの手紙

ウィリアムは最後に、後輩で新人のピーターへ向けて手紙をかきます。これはイシグロが脚色したひとつでもあるのですが、とても感動的です。


若い世代へのバトンといいますか、ウィリアムの残した精神や行動を、受け継いでいってほしいというイシグロから現代の若者へのメッセージでもあります。どんな内容なのか注目して観てください。

パンフレットを読もう

パンフレットにはカズオ・イシグロビル・ナイはもちろん、オリヴァー・ハーマナス監督や、イシグロ研究者三村尚央先生の論考もあり、とても読みごたえあります。


わたくし個人的にはビル・ナイの言葉が印象的でした。
「ウィリアムは、ひどく型にはまった人間で悲しみの中に閉じ込められている人。・・・人は大きな悲しみから自分を守るために、極めて狭い指針に沿って行動するようになり、あまり感情を表さないようにするために慣習の中に自分自身を見い出すようになる」


こういった人物背景も、イシグロが描く「切なさ」というものに通じていて、黒澤明監督との親和性が高いなあと感じました。


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最後にほんの少し感想です。
とにかくビル・ナイの唄のシーンがよかった。歌が上手い!というのもありますが、哀愁の中に見出す希望みたいなのがジンワリと伝わってきて、いつまでも聞いていたくなりました。この「ナナカマドの木」という唄は、スコットランドの民謡で、イシグロの奥様が好きな唄なのだそうです。


残念なところもひとつあります。ウィリアムの息子とマーガレットの、葬儀での会話シーンは、もうちょっとしゃべってほしかったなあと。抑制された感情のやりとりというのを意識しすぎて、逆によくわからなかった場面でした。


もう一度観なければ、、、、。


子供たちがはしゃぐ「遊び場」、これも継承してもらいたいですね。


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