Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

映画「生きる LIVING」公開直前 ! カズオ・イシグロ特集 "kotoba "2023春号

カズオ・イシグロが脚本を手掛けた映画『生きる LIVING』が、3月31日、やっと日本でも公開されます!


もう一年以上待ったでしょうか、
とても楽しみです!


雑誌『kotoba』最新号ではカズオ・イシグロ特集が組まれ、映画だけではなく、これまでの作品に関する論考の数々が収録されています。


作家、研究者、俳優、ミュージシャンなど、錚々たる方々のイシグロ愛がひしひしと伝わってきます。かなりボリュームもあり、隅々まで読めばカズオ・イシグロがまるごとわかる一冊。映画を観る前に是非一度読んでみてください。



ikiru-living-movie.jp


この映画は、黒沢明監督の日本映画『生きる』を英国版にリメイクされたもの。日本で生をうけたイシグロは、5歳のとき渡英し、少年期はイギリスで黒沢映画を観ていたそうです。なかでも『生きる』は彼のこれまでの創作活動に多大な影響を与えた原点ともいえる作品です。


私は、ずいぶん前に黒沢明監督の『生きる』(1952) を観ましたが、英国版をイメージすると、真っ先に思いついたのは『日の名残り』。『日の名残り』は、日本の戦後を描いた前作『浮世の画家』の主人公をそのままを英国へ移した作品だからです。


イシグロが実験的にこのようなことを行うのは、舞台設定はどうであれ、用意された深層にあるテーマが、国や時代を超えて人々が共感できるものであり、普遍的なものであるということを証明しようとしたからでしょう。


とりわけ日本人とイギリス人は「ストイックなまでの抑制心」という共通の感情があるということは、さまざまなインタビューでも語られています。


オリジナルをリスペクトした上で自分たちのものを造ったという本作品。すでに今年のアカデミー賞の脚色賞にノミネートされていますが、どのように脚色されているのか、見どころのひとつだと思います。


『生きる』のテーマは、人生で大事なものはなにか、自分の人生をどう生きるか。他人がどう思うかではなく、自分がなにをすべきかということ。たとえ世間から称賛されなくても、それが自分の成すべきことだからやるのだ。このささやかな貢献が誰かのためになっていれば幸いだという人生観です。


それは、イシグロがこれまで小説を通して伝えてきたものととても近しく、私はまさにそういう人生観に魅了されているひとりであります。


さらにイシグロは本作のインタビューでこのようなことを付け加えています。「自分自身にとっての勝利の感覚をもつことが大切。少しだけ自分を超えるのです。だれにも認識されないかもしれないが自分にとっては大切なことなのです」人生は受け身でいてはならないということが加えられているのですが、そこもポイントだと思います。


この映画の主人公のように、人は目標をもったとたん、前向きになって輝き出します。豊かな人生とはなにか、いま立ち止まって考え直すために、わたしはこの映画を一度と言わず何度も観たいと思います。


最後に、イシグロが『日の名残り』(The Remains of the Day, 1993 ) の登場人物に語らせたセリフの中に『生きる LIVING』へ託されたメッセージのような箇所があるので、そのパッセージをご紹介したいと思います。

ミス・ケントン

But that doesn’t mean to say, of course, there aren’t occasions now and then – extremely desolate occasions – when you think to yourself: “What a terrible mistake I’ve made with my life.” And you get to thinking about a different life, a better life you might have had. For instance, I get to thinking about a life I might have had with you, Mr Stevens.And I suppose that’s when I get angry over some trivial little thing and leave. But each time I do so, I realize before long – my rightful place is with my husband. After all, there’s no turning back the clock now. One can’t be forever dwelling on what might have been. One should realize one has as good as most, perhaps better, and be grateful.

The Remains of the Day .p.239. F&F. Kindle 版)

要約すると、
「時々寂しい思いをすることがあります。私の人生はなんて大きな間違いだったことでしょうと。もっと違う人生、もっと良い人生があったのではないかと考えてしまうのです。・・・結局は時間を後戻りさせることはできません。今ある幸せにもっと早く気づき、感謝すべきでした」

ティーブンス

After all, what can we ever gain in forever looking back and blaming ourselves if our lives have not turned out quite as we might have wished? The hard reality is, surely, that for the likes of you and me, there is little choice other than to leave our fate, ultimately, in the hands of those great gentlemen at the hub of this world who employ our services. What is the point in worrying oneself too much about what one could or could not have done to control the course one’s life took? Surely it is enough that the likes of you and me at least try to make a small contribution count for something true and worthy. And if some of us are prepared to sacrifice much in life in order to pursue such aspirations, surely that is in itself, whatever the outcome, cause for pride and contentment.

The Remains of the Day p.244. F&F. Kindle 版)


「人生が思い通りにいかなかったからと言って、後ろばかり向き自分を責めることに何の得があるというのか。私たちの運命は結局のところ私たちを雇ってくれる偉大な人々に委ねるしかない。真の価値あるもののために小さな貢献をしようと試みることで十分ではないだろうか。そのために多くの犠牲を払う覚悟があり実践したなら、どんな結果であれ、誇りと満足をもたらすに違いない」


ranunculuslove.hatenablog.com
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