Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『ヴィレット』シャーロット・ブロンテ

『ヴィレット』 (1853年)は、ジョージ・エリオットや、ヴァージニア・ウルフなどの名作家たちを次々に魅了させた、シャーロットの最後の小説です。ヒロインの心理描写が緻密な、孤独、苦悩、喪失の物語。現代英作家カズオ・イシグロも多大なる影響を受けた作品として知られています。



原タイトル:Villette

ルーシー・スノウの語り

欧州大陸にある、ラバスクール王国の首都「ヴィレット」。孤児となった主人公ルーシー・スノウは、職探しのためにロンドンから単独で海を渡り、この地にある女子寄宿学校へたどり着きます。ここで英語教師に従事しながら、自立した人生をめざすも、次々に襲いかかる困難に打ちひしがれていきます。


幸か不幸か、この学校はルーシー曰く、
「生徒たちを信用しないで束縛し、盲目的な無知の中に閉じこめる」「奇妙な陽気な騒々しい小世界」だったのです。


その所以は、学校を経営するマダム・ベックにありました。彼女は上品優美で平和主義を装っていますが、裏でスパイ行為をはたらく要注意人物。ここで起きる様々な出来事は、ほぼ全てがマダムの監視下にあったのです。


全体的にやや不気味で、不穏な空気感は、なんとなく『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)のヘイルシャムを彷彿とさせます。


物語はルーシーの一人称語りで展開されます。数々のエピソードのなかで、その時々の感情を如実に表しているようにみえますが、肝心なことを言わなかったり、霧に巻かれるかのごとく曖昧にする部分もあり、信頼できない語り手だといえます。


時には前面に出てきて
「読者がそう推測しても結構、どう想像なさっても構わない」
などと、ピシャリと境界線を引くような場面もあり、ルーシーの複雑な性質がうかがえるのです。物静かで思慮深い、自己抑制の人でありながら、水面下では、心の不安定さや、烈しい情熱が隠されていることが徐々にわかってくるからです。


また、擬人化された言葉達が君臨する場面も特徴的です。
例えば「理想」「現実」の言い争い、
「想像力」がなければ、悪魔のような「理性」に虐待されていた、
「魂」が配偶者の「肉体」と離縁する、
などなど、生気を吹き込まれた言の葉たちが、自由気ままに演じるのです。


ルーシーの極限の孤独、病、叶わぬ恋、亡霊の恐怖、手紙の埋葬、あのとき心の中で渦巻いていた「葛藤」はいったん取り出され、生々しく主張し、吟味し、客観的な視点で、読者に伝えようとしているのでしょう。ルーシーの特有の語りは、自然とストーリーに溶け込んでいて、気迫に満ちています。

予知夢と三途の川

物語の後半、ルーシーはなんとマダムにアヘンを投与されます!徐々に友愛を深めてきたポール・エマルニー教授が、異国へ渡ることを知り、激しく取り乱したからです。


ポール教授は、堅苦しく冷たい印象を与える人ですが、その実、辛い過去を背負う苦労人で、愛情深い人。マダム・ベックの親戚でもあります。ポールのことを右腕にして、信頼しきっていたマダムは、ポールとルーシーが仲良くなることは面白くありません。嫉妬心から、ポールを3年間西インド諸島へ派遣させよう企てたのです。


アヘンで鎮静されたルーシーは「想像力」に話しかけられ、夜の街をひとり徘徊するのですが、その白昼夢のシーンは非常に幻想的で、美しさすら感じます。予知夢をみているかのように、未来の自分、未来の環境が、光とともに暗示されていました。


未来のルーシーは、自分の学校を開いていました。自由で、何者にも縛られない学校。


そしてそれは現実となります。ポールが出発前に設立してくれた小さな学校で、経営者として希望に満ちた日々を送ることになるのです。3年後ポールが帰国すれば、二人は結婚する予定でしたが、その運命はいかに、、、。


この運命にも、予知夢のような暗示があったとしたら、ルーシーがロンドンから乗った船で見た、テムズ川の暗黒でしょうか。冷たい風と雨、荒っぽい船頭の罵声、連想するのは三途の川、黄泉の国でした。


しかしこの物語は悲劇で終わるわけではありません。

シャーロット(ルーシー)は最後にこう記しています。

ここで休もう。すぐに筆を休めることにしよう。
これ以上言うことはない。
明るい想像力の持ち主には希望を残すことにしよう。
・・・・・・
ではご機嫌よう。

ルーシーの理想の人生は、真の人生は、ここから始まろうとしていたのです。


最後に、ルーシーが一時期介護していたミス・マーチモンドの言葉を改めて読み直してみました。

「自分の運命がどんなものであろうと、
それを受け入れて、
ほかの人たちの運命を、
幸せにするように努力しなければ」


これはまさに、カズオ・イシグロ文学の人生観でありました!