Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

読んでいない本について堂々と語る方法

『読んでいない本について堂々と語る方法』を最近知りました。衝撃です。なんとこの書籍、2007年にフランスで出版されるやいなやベストセラーとなり、30か国以上で翻訳されました。著者は、文学教授であり精神分析医でもあるピエール・バイヤール。特異な観点から徹底的に裏付けされたロジックは必読です。




そもそも、何をもって「読んだ」といえるのか。熟読、再読しても、全てを把握し記憶するのは不可能です。内容が頭に入ってこず、読んだそばから忘れていくのであれば、読んでいないのも同然です。


反対に「読んでいない」はどうでしょう。単に忘れているだけだったり、途中で挫折した、人から聞いてあらすじは知ってる。あるいは映画で観たから読んだ気になっている場合もあります。


こうみると、あんまり変わらないなあと思ってしまいます。著者がいうように、読書はとらえどころのない行為であり、本当に「読んだ」のか「読んでいない」のかを問うことは、無益なことなのかもしれません。


ではなぜ「読んでいない本」についてわざわざ語る必要があるのでしょう、、、。


実はこのスキル、職業柄避けられない環境にいる人(例えば教師や書評家、コメンテーター、司書など)をはじめ、多くの人々が身につけるべき創造活動だというのです。


そこで重要なのは「書物についてではなく、自分自身について語ること、あるいは書物をつうじて、自分自身に語ること」だと主張します。


語ること(書くこと)で自分と向き合い、そのことが素晴らしい創造活動となる、ということはなんとなく理解できます。読書ブログを書くうえでも、大いに役に立つと思うのですが、著者がかかげる以下の心構えをみると、なかなか難しいなあと感じてしまいます。


「堂々と語るたための心構え」

  1. 気後れしない
  2. 自分の考えを押し付ける
  3. 本をでっち上げる
  4. 自分自身について語る


各々については、ひとつづつ章をもうけ、大真面目に検証されています。興味ある方はぜひ読んでいただきたいです。


さて、本の読み方について話を戻しますが、私が激しく動揺したのは、とある司書(ローベルト・ムージルの小説『特性のない男』に登場する司書)の思想がおおきく取り上げられていたことです。とにかくその司書というのは、


本は読まない。
目録や目次は読む。
書物に無関心ではない、むしろ好き。
書物を読むことを避けているのは、図書館の中で自分を見失わないようにするため。
というのです。


こ、これはもしかして、書物の森で溺れかけている、いや、溺れないように気を付けている私と同じでは?と思ったのです。


職業上というよりは、趣味の域に近いですが、私は目録をみたり、書誌情報(出版年、著者、大きさ、ページ数、言語、注記、目次、あらすじなど)を眺めるこが好きなのです。とくに目次は重要な手掛かりとなるため、ひとつの検索システムで出てこない場合は、他機関をあたったりします。そこから関連本を探すこともできます。


そしてその情報をもとに、原本をパラパラしたあと、この本にこんなことが書かれていた、書かれているはず、ここを読むといいです、おもしろかった、わかりにくかった、などという情報を周囲の人に発しているのです。


つまり、すでに私は、読んでいない本について堂々と語っていたのです!!


衝撃です、、、。


個人的に読む本も、ブログにとりあげる本以外は正式に「読んでいない」です。ぱらぱらと流す程度で、興味がわくところだけ熟読したり、メモをとったりします(斉藤孝氏はこれを「濃淡読み」と名付け、さまざまな著書で広く勧めています)。そうすることで読書量が増し、得られることも多い気がします。例の司書にかっこよく代弁していただくと「個々の書物に首を突っ込むよりも「全体の見通し」を重要視すべき」だと思うからです。それは図書館の海で自分を守ることでもあります。


ここでいう「全体の見通し」というのは、人生において様々なことに応用できる概念だということも、本書でくわしく述べられています。なにごとにおいても、物事を大きくとらえることが大事なんですね。


なんだか読み終えるころには、読書方についてはどうでもよく思えてきました笑。


ということで本書は「読書&アウトプット」だけではなく、人生観についても同時に学べる良書だと思います。最後に著者の考える究極の理念をご紹介して終えたいと思います。

真の教養とは網羅性をめざすもので、断片的な知識の集積に還元されるものではない


おまけにもう一つ、
訳者のあとがきの一コマがおもしろかったのでここに引用します。

ひょっとしたら、この本だって「読まずにすませる」輩が出てくるかもしれない。ピエール・バイヤールは結局自分で自分の首を締めていることにならないか。これはピエールい早くしらせてあげなければ、、、。


※参考文献
●『特性のない男』ローベルト・ムージル著 (1964)

第二巻100章で、宮廷図書館の司書が登場する。

国立国会図書館デジタルコレクションからも読めます。
dl.ndl.go.jp


●『図書館は生きている』パク・キスク著 (2023)

本書を意識した「読んでない本ついて司書が語る方法」という章がある。司書である著者の読書癖に、似たものを感じる。


●『誰も教えてくれない 人を動かす文章術』齋藤孝著 (2010)

本というものにあまり過大な期待をもってはいけない、ということで「濃淡読み」のススメあり。