Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

城壁と書物『続審問』J.L.ボルヘス

ボルヘスは、書物と図書館をこよなく愛した人である。
そしてまたユニークな一面も持ち合わせていた方だと私は思う。


エッセイ集『続審問』(Otras inquisiciones 1937-1952) でも、そのことが節々にうかがえる。38タイトルから成るこの評論集は、おもに文学作品や言語、作家についてボルヘス独自の思想(憶測ともいう)が覚書として綴られている。私は哲学においては無知に近いけれど、多くは形而上学を透視していると言われている。その全ての章に通底するともいえるテーマが、いちばん最初の「城壁と書物」に込められている。個人的にとても面白いと感じたので、ご紹介したい。



「城壁と書物」
まずは冒頭文

わたしは先だって次のようなことをものの本で読んだ。ほとんど無限に続く万里の長城の築造を命じたのは中国初代の皇帝始皇帝であるが、かれはまたそれまでに書かれたすべての書物の焼却を命じた。この二つの厖大な企てー野蛮人の侵入を防ぐための五、六百リーグにおよぶ石壁の建造と、歴史ーすなわち過去の厳格な廃墟ーが同一人物から発し、それが彼の性格の表れと見なされるようになった事実は、なぜかわたしを満足させ、また同時に不安にした。このような気持ちにさせられた理由をさぐることが、この覚書の目的である。


面白くないですか?
構築と破壊、相反する企てを同時に(ではないかもしれないが)命令するという、ある意味矛盾した始皇帝の人格が、ボルヘスの感情へと反映させているが、その理由がわからないという、、、。


秦の始皇帝は、農業、医薬、占星以外の書物を焼却させた。過去を抹殺し、人びとの愛する記憶を捨てようとした。聖なる書物を灰にするとはなんとも悲しいこと(不安な部分?)ではあるが、歴史的にみると焚書は他国でも行われていたことで、特に目新しいことではないとボルヘスはいう。


問題は城壁のほうである。
国民を、あるいは自分自身を敵から守るため、自国の弱さを隠すために、常識を逸するスケールで巨壁を造らせたと考えられるが、一方で始皇帝は不老不死の薬を魔術師に作らようともした。


ボルヘスはこう推測する。
城壁は一種の挑戦であり、魔術師たちの意図でつくられた比喩だったのではないかと。


自分の作りあげた地位を城壁という形で不動のものにしたかったが、人びとの過去の愛に対しては全く無力である。いつか(魔法がとけたら)わたしが書物を破壊したのと同様、誰かが城壁を破壊するだろう、わたしの記憶を消すだろうと始皇帝は考えたのではないか、というような主旨である。


しかし今なお(魔法はとけず?)万里の長城は威風堂々とそこに存在する。帝王の影が生き続けているのである。この想念そのものにボルヘスは感動する(満足な部分?)のだと述べ、最後に「書物の焼却と城壁の築造はお互いを抹消しあう」と結論づけている。


このことは後の「ナサニエルホーソン」の章でも述べられている。

過去を廃絶しようという試みは、過去は廃絶できないというひとつの証拠になるわけです。過去を毀つ(こぼつ)ことはできないー遅かれ早かれ、過去を廃毀せんとする企ても含めて、あらゆる物が復活されるでしょう。


破壊と構築は抹消し合いながら永遠に繰り返される、、、。
どんな魔術をもってもかなわないのだろう。


実はボルヘスには別の見方もある。
世界は夢であるから、夢をみつづけるかぎりなにも失わないのだと、、、。


ボルヘスの文章は、ひとつひとつは短いけれど難解で、作家や作品の引用が非常に多い。その固有名詞のなんたるかを知らなければ、理解に苦しむのだが、わからないにしても、なんとなく読んでみたら面白いと感じたり、そこから引用された作品に作家にあたってみようと思えたりするので、ぜひ読んでもらいたい。


ところでこの『続審問』には謎の裏話がある。
タイトルに続がつくのは、1925年の出版された最初のエッセイ集『審問集』の続編だからである。しかし『審問集』はその後、ボルヘス自身によって全て回収されたのだ。


訳者あとがきによると「審問」には、反宗教革命時のスペインにおける異端審問の厳しさと同じ厳しさで、作者、作品を裁断しようとする著者の決意が込められていて、英米ではかなり奇異なものであったそうだ。


このことに関連してかどうかはわからないが、『審問集』を回収するという行いは、ボルヘスにとっての書物の焼却であり、『続審問』は彼自身が抹消したかった記憶にまつわる物語なのではないか、、、と、あくまで私見ではあるが、そんなことをふと思った。


ちなみに本作は『異端審問』(1982)から書名を改め、本文・原註・訳註に加筆修訂をし、文庫化したものである。



ボルヘスを知るには、こちらがおススメ。