Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『パイの物語』ヤン・マーテル

カナダの作家、ヤン・マーテルの『パイの物語』( 原タイトル Life of Pi , 2001 ) を読みました。パイというのはお菓子のパイではなく、主人公16歳の少年の通称です。本作は2002年に英国のブッカー賞を受賞し、2012年には映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』が公開されました。




映画のタイトルが示している通り、この小説は、インドの少年パイと、ベンガルトラ(リチャード・パーカー)の、227日に渡る漂流物語であるが、それだけでは終わらない。漂流物語は、主に第二部に集中しているため、第一部と第三部は一見無意味に感じられるが、全てを総合的に読むことで、解釈の幅が広がるように仕組まれている。読み終えたらまた最初に戻って「覚え書きとして」を読み直してみることをおススメする。


始まりは、カナダの作家が小説のネタ探しにインドへ渡った際に出会った老人に「あんたが神を信じたくなるよう話を知っているよ」と、言わたれことに端を発する。その話の張本人というのが、現在カナダに住んでいるというパイであった。作家はカナダに戻り「パイの物語」を聞き、それを小説にしたという、なんだか回りくどい背景がある。


第一部では、少年パイのインドで過ごした日々が、ゆったりと描かれている。父が動物園を経営していたので、パイは動物学や宗教に関心をもっていた。異例ともいえる3つの宗教(ヒンドゥー教キリスト教イスラム教)を同時に信仰していた。やがてインドの政権に不満をっていた父が、家族と動物をつれてカナダへ移住することを決意する。第一部は、わりと平和で宗教的な話が心地よく、私の好きなパートである。しかし悠長に読みすぎてしまい、後から伏線のようなものを探しに戻ることが何度かあった。


第二部は、メインである漂流物語となっている。カナダへ向かう途中、日本の貨物船ツシマ丸は沈没してまった。救命ボートに乗せられたのは、パイと、トラ(リチャード・パーカー)、オラウータン、ハイエナ、シマウマだった。シマウマは足を骨折していて、ハイエナに食べられてしまう。それを見たオラウータンはハイエナを襲うが、逆に食べられてしまう。しかしハイエナは結局は最強のリチャード・パーカーに食べられてしまったのだった。家族もみんな死んでしまったため、残されたのはパイとリチャード・パーカーのみ。そこから227日間、命がけの漂流の旅が始まる。頭のいいパイは、リチャード・パーカーを手なずけ、距離を取り、食料を確保し、なんとか生き延びようとするが、照り付ける太陽と飢えで、疲労が限界に達する。途中たどり着いた島はミーアキャットの群れがいる人食い島。再び海に出て、次にたどり着いた島がメキシコの海岸だった。ここでリチャード・パーカーは振り向きもせず、森の中へ消えてしまった。パイは一人きりになり、現地人に救助される。


第三部は、日本人オカモト氏が、ツシマ丸沈没の唯一の生存者であるパイに取材をした時の音源を頼りに、作家が文字お越ししているという設定(これもまわりくどいが、その意味するところは?)。パイは取材に対して、トラとの漂流話をするが、オカモト氏には信じてもらえない。それならと、全く別のアナザーストーリーを作り語ったのだ。


彼と救命ボートに乗ったのは動物たちではなく、船のコックと、台湾の水夫がひとり、そして母親だった。そこで展開された出来事は、吐き気がするほど悲惨なものだった。詳細は割愛するが、よくよく読んでみると、あのとき救命ボートで繰り広げられた、動物が動物を食うということを、人間同士がやっていたのだった(シマウマ→台湾水夫、オランウータン→母、ハイエナ→コック、トラ→パイ という構図)。つまり真実は後者のほうで、パイは悲惨な出来事に蓋をするために、人を動物に見立てて「パイの物語」を創作した可能性がある。


どちらの話なら信じてもらえるというのか? 動物バージョンか、人間バージョンか? パイは正直にオカモト氏に突き詰める。オカモト氏が選んだのは、動物バージョンだった。すなわちオカモト氏も同様、悲惨な現実に目を背けたかったのだ。信じられないほうを、あえて信じようとした。神を信じたくなくなるような話とはこのことだ。オカモト氏は「動物バージョン=真実=パイの物語」だと結論づけた。嘘だとわかっていても、これはパイのためでもあった。パイの心を傷つけないよう、今後強く生きていけるよう、彼なりの配慮だったかもしれない。


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なにかを話せば、必ず物語になる。
なにかを語るということは、すなわちなにかを創作すること。
人生は物語にすぎないのだから。


パイは、こんなこともいっていた。

救助されること以外でぼくが何より欲したのは本だった。
決して終わることのない長い長い物語の本。
何度でも読み返すことができて、
そのたびに新鮮で新しい発見がある本。


彼には物語が必要だったのだ。なにも持ち合わせていないなら、自分でつくればいい。そうすることで精神的な支えが得られると知っていたのだろう。それは、困難な状況においても希望や慰めを求める人間の本能だ。3つの宗教はどうだったか。どの神も救ってはくれなかった。神を愛することは辛い、しかし愛そうとすることで慰めにはなっただろう。


生きるか死ぬかの究極を迫られたサバイバルにおいて、パイの精神力は尽きかけていた。眠ろうとすれば現実の夢とが混ざり合う。そのためだろう、パイが作った物語は断片的なエピソードが組み合わさり、日記調になっていたのが印象的だった。


第三部のパイの話に、どんでん返しをくらったが、取材をしたオカモト氏とその部下の態度にも面食らった。つらい過去の出来事と、取材時のブラックユーモアは、相反するものに思えるが、これこそがこの物語の本質ではないかと思えてくる。


どんな証言(物語)を話しても、沈没した原因はわからないし、家族も戻ってはこない。言い換えれば、どちらの物語でも船は沈み、家族は死ぬ。結果が同じなら、たのしい物語のほうがいいじゃないか。宗教と同じく選択肢はひとつでなくてもいいのだから。


重要なことは、自分の経験が人々に影響を与え、記憶に残るものであってほしい。そこに魂を感じてもらえたら、こんなに嬉しいことはない、そんなパイからのメッセージが聞こえてくるような最後だった。