Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『ウールフ、黒い湖 』ヘラ・S・ハーセ

オランダ文学を読んだのはおそらく初めてです。ヘラ・S・ハーセの『ウールフ、黒い湖 』( 原タイトル:Oeroeg, 1948 )は、オランダ領・東インド(現インドネシア)のバタヴィア(現ジャカルタ)を主要舞台にした小説です。そこはハーセさん自身が生まれ育った場所でもあります。美しい原風景をもとにしたノスタルジーがリアルに息づいていて、おもわず惹きこまれます。そこで起こる運命に翻弄されながら、二人の少年がかわした友情と、決別の物語です。


ヘラ・S・ハーセさん(1918-2011)は、2004年にオランダ文学賞を受賞されていて、非常に知名度の高い作家さんです。なかでも『ウールフ、黒い湖 』はベストセラーとなり、オランダではどの家庭にも必ず一冊はあるような不朽の名作です。今なお重版が続いていて、現在12か国に翻訳されていますが、今後もさらに他言語に翻訳される予定とのこと。


日本語に翻訳されたのは、初版から約70年の時を経た、2017年のことでした。あたりまえですが、遠い国の文学がどんなに優れていようと、言語を介してくれる人がいなければ、私たちはそれを読むことができません。ハーセさんは他にも多くの小説を書かれていますが、邦訳されているのは本作だけです。ほかの小説も是非読んでみたくなったので、今後の翻訳活動に期待したいです。



素晴らしい少年時代

ウールフは、ぼくの友だちだった

という冒頭文からは、ウールフというのは人名で、ぼく(語り手)の友人であった(が、今はそうではない)ということがわかる。それに加え、日本語タイトルは「黒い湖」が付け加えられていることもあり、これらは非常に暗示的である。


二人は同い年で、生まれたときから家族ぐるみの付き合いだった。現ジャカルタ近くにあるクボン・ジャティで、農園の管理をしている父と、音楽活動をしていた母との間で生まれたのが「ぼく」である。オランダ人でオランダ語を話す。一方ウールフは、原住民の一族で育ちスンダ語を話す。ウールフの父は、農園の手伝いをしていて、母親同士は仲が良かった。かれらが交流するときはおそらく現地のスンダ語を用いていたと思われる。


二人はいつでも一緒だった。ある事故でウールフの父が亡くなったり、「ぼく」の母が家庭教師と永遠の旅に出てしまったり、二人して片親喪失という運命にさらされるのだが(ある意味孤児となるが)、二人でいれば寂しさが紛れた。従業員の青年へーラルドが来てからは、冒険好きの彼と一緒に行動することが多くなった。原生林での大自然を肌で感じながら、さまざまなサバイバル体験をする。まるで自分たちが神話の中の英雄になったような気分になり、クボン・ジャティは、二人にとってかけがえのない原風景となったのだ。


黒い湖が象徴するもの

森の奥深くにある黒い湖(タラガ・ヒドゥン)は、この物語全体を通して象徴をくりかえす。死霊が集っているような不気味な湖は、表(水面)は金緑色に輝いたり、暗緑色になったりする。反対に裏(水底)は血塊のように赤くくすんでいる。この血塊はときどき「ぼく」の前に現れ苦しめる。もしかするとウールフの父の亡霊なのだろうか。なぜならウールフの父は、この湖で溺れそうになった「ぼく」を助けようとして、水草に絡まり溺死したのだ。


黒い湖は、ウールフの目にも例えられている。大人になり、二人が決別する場面ではこのように描写されている。

その目はタラガ・ヒドゥン(黒い湖)の水面のように黒く光り輝き、同時に、奥底に秘めたものを明かすまいといているかのようだった
(P.124)

黒い湖は、ウールフ自身であった。「ぼく」は、ウールフのことも、この国のことも、はなにもわかってなかった。黒い湖の水面のように知っていただけだった、と振り返っている。

トルコ帽が象徴するもの

リダというオランダ女性が、ウールフの支援をするようになってからは、彼に自立心が芽生えてくる。頭が良かったウールフはMULOという国際色に富んだ高校へ進学し、身なりは西洋風で、オランダ語しか話さなくなった。トルコ帽もかぶらず、自分はアメリカに行くのだと話していた。トルコ帽は当時イスラム教徒の間で流行していたアイテムであり、その帽子を脱ぐという行為は、イスラム教脱却の意志を示す。


しかしアブドゥラーというアラブ系の友人ができてからは一変し、再びトルコ帽をかぶる。トルコ帽をかぶることや脱ぐことは、政治的な象徴として重要な意味を持っていた。アブドゥラーと一緒にNIAS(オランダ領東インド医学学校)へ進学することを決めたが、学費はオランダ政府の奨学金に頼らず、リダが払っていた。つまりウールフはこの国の独立運動に傾倒していったのだ。オランダ人の「ぼく」は、ウールフから投げられた言葉に震撼する。

きみたちは、自己の利益のために、民衆の発展を妨げていた。でももう終わりだ。これからは我々が引き受け・・・・我々工場を、軍艦を、近代的な医療施設を、学校を、自決権を与えよ。
(P.115)

「ぼく」生まれ育った地で、よそ者の扱いを受けた。心の空白を埋めようと二人の思い出の場所を転々とするが、どこにも居場所はなかった。こうして二人の世界は断ち切られたのだった。

永遠の決別

「ぼく」は大学進学のためオランダへ行くが、戦争が始まりドイツ軍の占領が始まる。かたやインドネシアは日本軍の支配下となった。日本軍の降伏後やっと故郷に帰った「ぼく」は衝撃の風景を目の当たりにする。


自宅は荒れ果てた農園と化し、切断された電柱や、黒こげの建物など、戦後の爪痕が残っていた。父親は死んだ。ウールフとも音信不通だ。記憶の中の風景を追い求め、あの黒い湖へと向かうと、そこだけは変わらず「ぼく」を迎えてくれた。すると、何年も前にみた血塊の亡霊が、輝いて浮上したのだった。


ふと横をみると、そこにウールフのような青年が立っていた。ウールフ? と聞いてみるが返事がない。青年は青ざめた顔をして、銃をつきつけ「行け、さもないと撃つ。ここはおまえとは関係ない」とだけ言った。


なぜ、ウールフも黒い湖にいたのか、、、。
彼もまた、変わらない過去の風景を追い求め、ノスタルジーに浸りたくて、ここまで来たのではないだろうか、そんなことを思った。

わたしたちが孤児だったころ』をもとに「孤児」と「分身」を考えてみる

本作は、カズオ・イシグロ著『わたしたちが孤児だったころ』(原題:When We Were Orphans , 2000)に非常によく似たテーマを扱っている。同じく他民族の二人(イギリス人と日本人)が、どちらの故郷でもない上海で少年時代を過ごした。二人はいつも一緒で、永遠に魔法がかけられたような楽しい世界だったと描かれている。しかしそれは、後の決別をすでに示唆しており、親や戦争に翻弄され暗転する未来との対比を浮き彫りにしている。


バンクスとアキラのが過ごした上海は、二人にとっての原風景であった。大人になりイギリスへ渡ったバンクスだが、母を探しに上海へ戻ったとき、その地は日本軍に占領され戦禍と化していた。偶然にも再会を果たしたた二人だったが、アキラはケガをしていた。助けようとするバンクスに対し「あっちいけ、イギリス人!」と冷たくあしらわれる。このときのバンクスの気持ちは、「行け!」と言われたときの「ぼく」に似ていただろうかと想像する。昨日までの友は、明日には敵となるのだ。


バンクスとアキラ、そして「ぼく」も、ウールフも、みんなが「孤児」であった。先にも述べたが、ウールフは父を亡くした時点で事実上「孤児」になったといえる。母親は経済力がない上に、きょうだいが多かった、ウールフの学費は「ぼく」の父や、リダに頼るしかなかった。一方「ぼく」も、母親が自分を捨てて出て行ったときから「孤児」であった。父親はますます仕事に専念し、長い休暇に出た後は、新妻をつれて帰ってきたことから疎外感を抱いていた。


このように「孤児」として生きていくには、お互いに分身となるような存在が必要だった。それは内なる自分でもあり、自分を見つめ直す対象となりうる。


わたしたちが孤児だったころ』に登場する女性サラ(同じく孤児)が言っていたセリフを思い出す。

温かくてわたしを包み込んでくれるようなもの、私が何をやるとか、どんな人間になると関係なく、戻っていけるものが(欲しかった)

過去は取り戻せないにしても、変わらずにそこにあるもの(黒い湖)に、吸い寄せられる気持ちが痛いほど伝わってくる。

孤児は愛の欠如のメタファーでもあります。愛の欠如は、愛と同様か、それ以上にとてつもなく大きい感情です。だからこそ、大いに興味をそそられるのです。
by カズオ・イシグロ (すばる2011.5)


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