Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

J.K.ユイスマンス『ルルドの群集』

フランスの田舎町、ルルドをご存じだろうか。
ピレネー山脈のふもとにあるこの町には、かつて聖母マリアが出現したといわれる洞窟がある。現在もカトリック教徒の巡礼地として知られ、世界各国から訪問者が絶えることはない。




ことのはじまりは1858年、この地で、貧しいひとりの少女が不思議な体験をする。彼女の名前はベルナデット。薪を集めるため、下のきょうだいたちとマサビエルの岩山までやってきた。その下にある広い洞窟に枯枝が蓄積されているの発見。しかしそこへ行くには川を渡らねばならない。苦心していたその時、風が鳴るような音がした。白いベールに包まれた聖処女が現れたのだ。柔らかな光に包まれ、ベルナデットは難なく対岸へ渡ることができた。聖処女は、その後同じ場所で18回にわたり出現する。しかしそれはベルナデットだけにしか見えなかった。熱心に洞窟に通うベルナデットを家族や親せきは擁護するが、周囲の人々のなかには、不信感をもつ者もいた。幻覚か、妖精か、魔法使いか、虚言か、などと疑いをかけられた。本当に聖母マリアが現れたのか、我こそ真相をつかもうと、彼女のあとについてくる者は日に日に増えていった。早朝、あるいは前夜から人々が集まり少女を待ちわびる。神父、警察、兵士、医師などを含むその群集は、ついに5000人以上に膨れ上がった。洞窟の湧水を飲んだり身体につけると、病気が治癒した例もあり、しだいに崇拝の場となっていく。聖処女がベルナデットに告げたことは主に以下のとおり。


「ここに2週間続けて来てほしい」
「私はあなたをこの世で幸せにするのではなく、別の世で幸せにすることを約束します」
「罪人たちのために祈りなさい」
「洞窟の泥水の底にある水を飲み、体につけなさい」
「聖体行列がなされるよう、ここに礼拝堂を建てるよう神父に伝えなさい」


極限の貧困家庭で育ったベルナデットは、病弱なうえに、フランス語の読み書きができなかったゆえ、これらの言葉はルルドの方言が用いられたという。そして知能レベルの極めて低い彼女にとっては、幻覚や、虚言、魔法つかいなどの概念すら理解できない。彼女は決して自分の利益で動いているのではないと神父が判断する。その証拠といえる一例が、聖母マリアに、お名前をお聞きした場面にもみられる。返ってきた言葉は「わたくしはイマキュレ・コンセプシオンです」。フランス語がわからないベルナデットには難しく、神父には「イマキュラダ・カウンシェチウ」と伝える。そんな名前があるわけないと一蹴されるが、実はその名こそ「聖母マリア」のことだったのだ。たちまち町には「マリア様が降天された」ということが知れ渡った。聖母マリアの最後の出現となった1858年7月16日、光の中でひざまずくベルナデットは喜びに満ち、これまでで最も美しい姿だった。


(ここまでは以下の文献に依拠した)
信仰と医学 : 聖地ルルドをめぐる省察 / 帚木蓬生著 ( 2018 )
聖母マリア出現の全容を把握できるほか、医学的な側面での解説、ベルナデットのその後の人生、またこの奇跡を基に描かれた書物への言及もあり、大変興味深い。



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ずいぶん前置きが長くなったが、J.K.ユイスマンス著『ルルドの群集』(1994) は、マリア様出現にまつわる物語ではない。ルルドの実態を、ユイスマンス自身が見たまま、感じたまま赤裸々に語ったルポタージュである。


原タイトル:Les foules de Lourdes , 1901


ユイスマンスといえば『さかしま』の神秘な世界観を想起する。ルルドもまた、不治の病が治癒する奇跡の聖地として、それだけで神秘の香りがするのだが、そんな淡い期待は早くも覆されてしまった。彼がまず感じたのは、次々に押し寄せる巡礼団の波、ロザリオ聖堂の中で眠る人々、観光地、ピクニックのようにベンチや芝生で食事をとっている群集への嫌悪であった。


とはいえ、国際大巡礼の日、ヨーロッパ中から巡礼団が訪れる様子を、皮肉ではあるものの、ルルドの町を夢の町のごとく幻想的に描写しているところは、ユイスマンスらしく、なんとも救われた気分になる。

ルルドは四方からしっかりと締めつける山々の帯に巻かれて、はやはじけそうだ。雨もやんだ。空からあくまでも清らかな、紫色の粉が、くっきり線を描く山々の上に降り落ちてくる。大小のジュールの岩山は、灰白色の甲羅を陽光のもとで黄金色に輝かせている。その横腹にはりついた感じの牧場は、目のさめるような何枚かの緑の板である。斜面に掘られた溝に沿うてなにかが登ってくる。一匹の虫が這いあがってくるようだ。登山電車である。日ざかりの中を、また、トンネルの影の下を、頂上までゆるゆると這いのぼる。陽の光がまるで、幸福をぱらぱらとふりまき、喜びをまき散らしているみたいな谷間に、狩猟のらっぱの音がひびき、はるか遠くの道を荷車を押して行く屑屋に何かを呼びかけているふうだ (p.53-54)


彼の内部には「ルルドの印象は二つあり、対立し、両立しがたい」という。ひとつは、上記のような群集への嫌悪感。加えて奇跡の治癒を求めてやってくる人々の、見たこともないような悲痛な症状、難病者。かれらが泉で水浴する姿は、目を背けたくなるような有様。ユイスマンスは辛辣な言葉でもって表現することも厭わなかった。ここは負傷者の横たわる戦場である。「中世の寓話に出てくる怪獣のようだ」「この痛ましく、悲惨きわまりない空間に、二度と足を踏み入れたくない」「自分だけはあんな風に苦しまないでいることに感謝する」などといった感じ。


そして対極するのが、不治の病が、水浴のあと一瞬で治癒する奇跡を目の当たりにして感じる熱い信仰心である。不平もいわず、誰もがひたすら祈り続ける。病人とそれに付き添う人々が、完全にわれを忘れて聖母に向かい、願いをささげるその姿に胸を打たれるのである。ここには聖母がいる。奇跡の癒しがある。たとえ奇跡がもたらされなくとも、聖母は魂だけは救い、忍耐と勇気を与えてくださるはずだ、と確信するのだった。


ところで奇跡の癒しとは、いったい何によるものなのか。人々の疑問はその一点につきる。ユイスマンスは三週間の滞在中、毎日礼拝堂や病院を視察し、医師ボワサリー博士から、様々な治癒例を聞いた。


取材すればするほど、次々に浮上する仮説と疑問。そのどれもが科学的、医学的な裏付けが認められず、回りまわって突き返されてしまう。どれもこれも理論矛盾に陥ってしまうのだ。自分の意思とは関係なく湧き上がる同情心や理想も、また同じである。


「いったい誰がこうした力を動かすのか」「自然だというのか、なんとばかげたことよ」「奇跡なんぞ、もうどうでもいい」と投げ捨ててもみる。


「ただ、奇跡を信じない者、迷う者は、自分の理性と感覚の範囲外のものを理解できない人たちである」この言葉にはエミール・ゾラへの批判も含んでいるだろう。エミール・ゾラもまたルルドを訪問し、ユイスマンスより早く『ルルド』 (Lourdes", 1894 ) という小説を書いているが、奇跡を認めない、事実無根の彼の解釈に違和感を感じていた。ユイスマンスは自分の目でみたルルドを、熱い信仰心でもって、いまようやく受け入れることができたのだろう。


そしてルルドの癒しとは、いまだ解明されていない驚異に属するもの。魔術のような奇跡が、突如として成し遂げられる、ただそれだけのこと、神か聖母に祈らねば何事も起こらぬのだから、と結論づける。


ユイスマンスは最後にこう述べる。
「とにかく一度はルルドを見なくてはならない」と。
ひたむきにひとつの陶酔状態のなかで生きている夢の町。無限の穏やかさに満ちる町ルルドを。


病に侵されつつ執筆したというこの作品、気のせいか、後半はユイスマンス自身の深い祈りが、随所にこめられているような気がした。わたしたちは簡単にルルドへ行くことはできない。それならば、この彼の渾身の晩年作『ルルドの群集』を、とにかく多くの人に読んでもらいたいと願うばかりだ。


ほかにもルルドに関する作品は数多くあるので、興味のある方はぜひ探してみてください。


*マトン神父の『ルルドの出現』は、ネットでも公開されています。
dl.ndl.go.jp

ルルドの奇跡 : 聖母の出現と病気の治癒 / エリザベート・クラヴリ著 ; 遠藤ゆかり訳
 ユイスマンスと、エミール・ゾラの『ルルド』の言及あり。



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