Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『浮世の画家』思案橋でためらってみる

長崎の旅、後半は、
長崎市随一の歓楽街「思案橋」。




ここは、カズオ・イシグロ著『浮世の画家』に登場する「ためらい橋」(the Bridge of Hesitation)のモデルとされている場所です。


残念ながら、現在は川が埋め立てられていて、橋ではなく、交差点名や、路面電車の駅名になっています。



それにしても珍しい名前ですね~。


この橋で、多くの客が享楽の花街へ行こうか、やっぱり家に帰ろうか、思案したことに由来するということで、大変趣があります。


夢と現実「浮世」と「憂き世」の境界線がここにあったのですね~。


その名にちなんで、私もひとつ、ためらったてみたことがあります。


それは、夜にいこうか、昼に行こうか、ということ。くだらない?かもしれませんが、私のなかでは大問題。もちろん聖地巡礼という意味では、夕方から夜の光景は必見だったのでしょうけれど、思案した挙げ句、なぜか真っ昼間にいくことになりました。


昼下がりの思案橋横丁、さすがに準備中の店が多かったです、夜の変貌ぶりが見られなかったのはちょっと残念、、、。




浮世の画家』の主人公である小野益次も、若い頃はこの辺りのバーで、弟子たちと活発な意見交換をしていました。そして年を重ねた今も、週に3~4日はここ「ためらい橋」にやってきては、もの思いにふけるのでした。


かなりの頻度!


しかしその内面は「ためらい」ではなく、人生の黄昏時に感じるノスタルジーに近いものがありました。


その時のセリフがこちら↓

ときどき思案顔でその橋の欄干に寄りかかるが、べつにためらっているわけではない。夕日が沈むとき、そこから周囲を見回し、刻々と変わる景色を眺めるのが楽しいのだ。p.147


しかし重要なことは、読者はここで一緒にたそがれてはいけない!ということ。


小野のひとり語りで展開するこの物語は、ときどき過去の時空が歪められています。


意図的か、老いのせいか、そこは謎。


小野がこの橋で回想するエピソードは、重要なシーンであるものの、真実を疑ってみる必要があるし、そこから浮上するいくつかの可能性が、この物語のカギをにぎっているように思います。


さりげなくも、意味深い。


小野の考える「floating World」とは何だったのか、そんなことを感じてみた場所、思案橋でありました。



余談:奇しくも稲佐山展望台のカフェに、思案橋スコーンというものがありました。
おいしかったです!


ネット販売もされているようです
CafeBARU




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