Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『うき世と浮世絵』で『浮世の画家』を想う

内藤正人著『うき世と浮世絵』は、「浮き世」ということばの語源や、「浮世絵」の生誕と歴史がわかる学術書です。江戸時代に産声を上げた浮世絵は、時代とともに進化を遂げ、近年のサブカルチャーや、外国文化に影響を与えてきました。その数は意外と多いことに驚かされます。今も昔も、人びとに愛され続ける浮世絵とはいった何なのか、その正体に迫ることができます。


とりわけ私の関心事は「浮世絵」以前に、「浮き世」という言葉の意味にありました。「浮き世」は英語でも Ukiyo ですが、『浮世の画家』(カズオ・イシグロ著)の原題はなぜ An Artist of the Floating World なのか、ずっと疑問でした。「Ukiyo」と「Floating World」の違いは何か。『浮世の画家』は戦後の日本を舞台に英語で書かれた小説で、後に和訳されました。なので、なぜタイトルを「Ukiyo」にしなかったのか、ではなく「Floating World」をなぜ浮世と訳したのかということです。


「浮き世」とはいったい何かを知るには、まず「浮世絵」を理解する必要がありそうです。「浮世絵」は西洋でいう「風俗画」の一種。「風俗画」とは、16世紀のブリューゲルや17世紀のフェルメールが描いたように、無名の農民や庶民の生活の営みを題材にした絵画作品のことです。日本でも古墳時代から壁画などに風俗描写がみられたといいます。中国や朝鮮の影響も受けていて、平安期~江戸期には屏風や巻物にもなりました。


やがて江戸時代に入ると、庶民の興味をひく「美人、役者、風景、花鳥」などを題材にした木版画が「浮世絵」として派生し独立していきました。人の心に訴えるものを描き、それを売り、その報酬によって支えられていた、いわば商業的出版物であり、菱川師宣を始めとする絵師たちは、商業主義的に誘導されていたといえます。こうして「浮世絵」は、文化や流行をうまく取り入れながら幕末~明治へとさらなる発展をとげたのです。


さて話はようやく「浮き世」に入っていきますが、このことばの語源も、中国の漢語に由来するようです。日本での最古例は平安時代の『伊勢物語』にありました。当時は「憂き世」と表し「憂うべき世」「世を憂うる」つまり、辛いことが多い世の中、悪いことがおきないか不安になるといったような意味です。やがて「憂き世=仏教的諦念」という見方がでてきて、仏教に説かれる「無常観=儚い人生」というものが「浮世」のイメージとして主流になっていきました。


しかし江戸時代に入ると、また新しい浮世観が派生します。儚い世の中であるならば、浮かれて暮らそうという享楽的世界観。男女の恋情や好色な事物のイメージ。現実的、かつ現世謳歌的な考えに変わっていったのです。同時に「浮世」を用いた言葉も数知れず世に出回りました。浮世男、浮世寺、浮世遊、浮世風、浮世離れなどなど。そのうちのひとつが「浮世絵」「浮世絵師」だったというわけです。


とはいえ「浮世」は他に、当世、この世、移ろいゆく今という意味もあり、読み方も「ふせい」だったりします。こうして歴史をたどりつつ眺めてみると「浮世」の定義は実に広域で、漠然としたものだなあと思ってしまいます。


では『浮世の画家』の「浮世」は、どの解釈が適当なのでしょうか。それを考えるとき、はずせないのは主人公の画家、小野益次の存在。彼は長年身を置いた浮世絵業界に見切りをつけ、プロバガンダへ手を染めていった人物です。彼の考える「Floating World」とは、仲間と享楽的に生きた浮世絵時代だったのか、それとも後者であったのか、、、、。


ここでふと、著者が最後に述べられた「浮世絵はファンタジーである」ということばに、光を見い出したような気がしました。「浮世絵」は美しく儚い世界、現実をもとにしているが現実を超越した夢幻の絵画、現実離れした幻想世界なのだといいます。そうであるならば、小野の考える理想の「浮世」とは、今までの享楽的な生き方ではなく、たとえ間違いだと気づいていたとしても、野心を燃やして突き進んだ、あの道にあったのではないだろうかと思いました。現実と異なる第二の世界「Floating World」に、美しさ、儚さを求めていたのではないでしょうか。


そして,、もうひとつ新たに注目したのは、タイトルの An Artist を「画家」と訳した妙です。浮世絵を描く人は「絵師」と呼ばれていて、画家よりも一段低くみられたり、俗のイメージがありました。プライドの高い小野益次は、今までの「絵師」ではなく、お国のために活躍する「画家」になったのだということを含んでいるかのよう。自己正当化しなければ生きられなかった時代、あの頃を振り返る老画家、小野の心情をうまく捉えた、素晴らしい訳なんだと、妙に納得がいきました。


小野益次が「享楽世界の浮世絵師」から「浮世の画家」に成り変わった瞬間を見たような、刺激的な読書体験でありました。


京都文化博物館では、来月より『もしも猫展』が開催されます。
浮世絵師、歌川国芳氏のユニークな表現力は、今も全く色あせていません。
楽しみです。
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