イアン・マキューアンの長編デビュー作、
『セメントガーデン』を読了。
(原題:The Cement Garden , Ian MacEwan , 1979 )
現代英国作家イアン・マキューアンといえば、カズオ・イシグロの、イーストアングリア大学時代の先輩ということで、以前から気になっていました。
本作は、家族の死体遺棄や、近親相姦などのショッキングな内容ではありますが、不思議と後味は悪くありません。
そしてなんと、カズオ・イシグロ初期の短編、Getting Poisoned (1981) は、この作品のパクリだと言われています。
イシグロはそれを認めていて「意識的に実験した」「イアン・マキューアンの物語を書こうとした」と述べています。イアン・マキューアンのことは、非常に流行に敏感な作家だと賛美し、当時はかなり影響を受けていたと思われます。
カズオ・イシグロの Getting Poisoned についての記事はこちら ↓
『セメントガーデン』は、時代も国もわからない、とある郊外にぽつんと建った豪邸、そこに住む家族の崩壊の物語。
病弱な父と静かな母、そしてボク、姉、妹、弟の4人の子供たち。
ある日突然、父の手配で大量のセメントが運ばれてくることに、、、
14歳のボクの語り
ぼくが父さんを殺したわけではないが、旅立つときに背中を一押ししたような気がすることがある
冒頭の一文から、
ボク(語り手ジャック)は容疑者さながらの、危険な匂いが漂ってくる。
何かを隠しているわけではないけれど、全てを語らない、思春期特有の不完全な物言いは信憑性に欠け、それが逆に文学的手法として功を奏してると思う。「文字で感情を隠す」という語りの手法は、カズオ・イシグロ文学の特徴でもある。
結局父親の死因は、最後までわからない。
庭の手入れが億劫になった父は、庭一面にセメントを塗ろうと考えた。
ボクは手伝っていたが、トイレに行っている間に父はセメントに顔を埋めて死んでいた。
その後、母も病気になり寝室で死んだ。
残されたボクたちは、施設に入れられるのを避けるために、母の死を隠蔽。地下に運びセメントでコンクリート詰めにした。
両親のいなくなった家は、楽園と化し、子供たちは際限なき自由を手に入れる。
ボクは自慰にふけり、姉は彼氏と出かけ、妹は自室に閉じこもり、幼い弟は赤ちゃん返りをする。そして様々な奇妙な遊びを繰り返し、世の善悪すら麻痺していく。
セメントの怒り
セメントが運んできた自由な楽園は、皮肉にもセメントによって崩壊する。
母が埋葬されたコンクリートに、細い亀裂ができたころから、兆候はあった。
コンクリートの割れ目はどんどん大きくなり、盛り上がり、隙間から母が覗いている。
もうこんなこと終わりにしなさいと、
切断されていくコンクリートが怒っているかのようだ。
その背後にチラつくのは、荒れ朽ちた近所の空き地と、遠くの高層住宅、プレハブ作りの廃墟、雑草で拾ったハンマー、妹にもらったSF小説、それらが繰り返し描写され、セメントのように硬くて冷たい殺伐とした社会が襲ってくる。それはボクやきょうだいたちの、孤独感と喪失感を反映しているともいえる。
そしてついに外部の人間により真実が暴かれる日が来た。
もう終わりだと悟った時の、長女の最後のつぶやきが、全てを物語っている。
なんと美しい最後だろう。
さらにボクも、、、
どうしてボクは、こんなに眠ってばかりいるのだろう
虚実のあいだを彷徨う、夢うつろな、眠っていたかのような時間だったのだろう。それは罪の意識などまるでなく、あまりも自然で美しいつかの間の悪夢だった。
カズオ・イシグロは、セメントを毒(poison)に変え、新たな悪夢を紡ぎ出したのだ。
マキューアン、2作目は何を読もう、、、。