Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

毒を盛られて "Getting Poisoned" Kazuo Ishiguro    

カズオ・イシグロの初期短編のうちの一つ
Getting Poisoned (1981)
『中毒になる』あるいは『毒がまわる』でしょうか。

Introduction 7 : stories by new writers,1981
に含まれています。和訳は今のところありません。

この作品は、問題作?とまではいきませんが、イシグロさんらしからぬ作品です。
個人的には、アゴタ・クリストフの『悪童日記』を彷彿とさせますが、実はイーストアングリア大学の先輩作家、イワン・マキューアンの『セメントガーデン』の模倣ではないかと言われています。
イシグロはこのことを認めていて、意図的に真似てみたんだと述べています。現在進行形の日記形式にしたことも、ある意味刺激的な挑戦だったということで、イワン・マキューアンの影響をかなり受けている作品だといえます。

内容

ボク(少年)の日記形式で話が進む。


友人エディの兄が淋病(毒)にかかっている。
それなのになぜ彼は元気なんだ。
”Obviously it takes some time for the poison to get working on you." ( P.38 )
「毒が回るのには時間がかかる」
のだろう。


ボクのは、大丈夫か?と不安になり日々の確認作業は抜かりない。


母親は愛人と出かけるため、いつもひとり。
学校へも行かなくなり
愛猫と遊ぶことと、
父の残したエロ本をみることが唯一の楽しみ。


ある日、猫が無視するのが不愉快で、エサを与えなくなる。
さらに雑草除去剤(毒)を物置から見つけ、
それをキャットフードに混ぜて猫を死なせる。
毒が回るのには時間がかかるのだ
その時間を観察しながらほくそ笑む。


母の愛人が娘とともに引っ越してくる。
娘キャロルは16歳。
ボクよりかなり年上だ。


始めはキャロルに対して嫌悪感をもつが、
そのうち誘惑?、挑発?されて、、、
ある日、男女の関係に。
信じ難いことに、
その行為の前に、彼女に雑草除去剤(毒)を入れたコーヒーを飲ませるのだ。
毒が回るのには時間がかかるのだ
と、その時間を楽しむ。


その後、彼女は嘔吐し、死亡する。


ボクは鼻歌を歌いながら、内心ではこう嘆く
「本当は彼女に死んでほしくなかったんだ」
と何度も言い訳するところに、少年らしい複雑さ、内面と行動との乖離がみられる。

感想

少年の歪んだ精神から生まれる悲劇。
罪の意識もなく、奇行が中毒化していく悲劇。
確かに先輩作家を真似た挑戦的な作品だと思った。
そして、ちょっと不気味な後あじは、その後の作品に繋がっていく。
親のネグレクトは『遠い山なみの光』で登場するし、
孤児状態なのは『私たちが孤児だったころ』にも通じる。
過去をさかのぼることで、とても貴重な読書体験ができた。