ボルヘスの『幻獣辞典』を読みました。
原タイトル : El libro de los seres imaginarios
「辞典」というよりは、ひとつひとつが幻想小説のようなこの書物。
ボルヘス自身このように表現しています。
「時と空間を通して人間の想像力によって考えられた奇妙な創造物の小冊子」
かんたんにいえば「空想の生き物たち」の羅列本です。
それはボルヘスが考えた「生き物たち」ではなく、古典文学や神話伝説に基づいています。ケンタウロス、やまたのおろち、チェシャ猫、エルフ、フェアリー、グレンデルなどなど、引用した資料は古今東西数多の原典にあたったという、その博識さと、ボルヘス特有の皮肉を織り交ぜた魅惑の一冊です。
ファンタジー好きな方でも、とても興味深く読めると思うのですが、もうひとつ特徴をあげるなら、事典と言えど絵や図が少ないこと。これは著者が視力を失った後にかかれたということが大きいと思われます。過去に見た書物の幻想動物を思い浮かべ、言葉だけで緻密に表現するというのは、どれほどの労力かと思いますし、読み手にとっても、言葉から想像する幻想世界はとても知的で至福な時間となりえます。
日本のものでは「地震魚」というのが面白かったので簡単にご紹介します。
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8世紀、日本ではすでに歴史家や神話学者が地震説を語っていた。
常陸国(ひたちのくに 現在の茨城県の北東部)の地下に大きなナマズの形をした神がいて、
大地を揺り動かしているのではないか。
そこで鹿島(佐賀県)の大神が、剣を地中に刺し込んでこの神を退治しようとした。
その剣の柄が、鹿島神社の近くに突起して残っていた。
そのまま17世紀になり、
藩主がここを掘らせたが刃の先端には達しなかった。
うそかほんとか、、、
民間信仰では「地震魚」は体長700マイル(約1127キロ)のウナギで、背に日本地図を支えているといわれていた。
南北に横たわり、頭は京都の地下に、尾は青森の地下にあると。
頭は竜でウロコにつつまれた体、十本の蜘蛛の足。
しかし、
これは地下の獣であり、海底の獣ではない。
(おわり)
(この章には絵が付けられていました。しかもナマズではなく虫のほうで、、、)
神話ではナマズ神だったのに、時を経て、人びとが語り継いだ先は虫だったという皮肉めいたお話でした。
なかには無知な作品、無知な生き物が出てきて、難しいなと感じるものもありますが、興味のある所から読める、そして、なにげないところから、興味を引く作品に出会え、知識が広がるというのは辞典の良さなのかもしれません。
イギリスの小説家イアン・マキューアンは本書についてこのように述べています。
「20世紀文学の巨人のひとりであるボルヘスは、我々の空想や憶測の語彙の質感を大いに豊かにしてくれた」
これに呼応するかのように、ボルヘスはこう言っていました。
「(本書は)誰しも知るように、むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」
この温度差、おもしろいですね。
(豆知識)
本書はやや複雑な経緯があります。
1957 年 82篇 Mannal de zoologia fantàstica 『幻想動物学案内』 メキシコで出版
1967年 116篇 El libro de los seres imaginarios『想像の存在の書』ブエノスアイレスで出版
1969年 120篇 ↑これに4篇増やし、最新版とした
内容は調べていませんが、徐々に怪物が追加されているのが興味深い。
ボルヘスがご存命なら、永遠に続いていたでしょうか。