Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

Waiting for a ghost? ”The Gourmet ” Kazuo Ishiguro

カズオ・イシグロ脚本の『The Gourmet 』(ザ・グルメ)は、1987年にイギリスで放送されたテレビドラマ。シカゴ国際映画祭の「最優秀短編映画賞」を受賞した作品です。


完全版かどうかはわかりませんが、YouTubeで見ることができます。



www.youtube.com


脚本原文はウェブ版「GRANTA」にて掲載されています。
脚本なので当前かもしれませんが、視点の動きや、役者の演出などが詳細に明記されていて、著者のこだわりが見てとれます。
granta.com



『ザ・グルメ』というタイトルから想像するのは、目にもおいしい料理のお話。しかしその予想ははるかに裏切られてしまいます!


とある美食家の奇怪な探求、悲哀、時々コミカル、なお話です。

かんたんなあらすじ

美食家マンリー・キングストンは、今まで味わったことのない珍しい味を追求し、世界中を旅している。体格の大きい英国紳士50歳。お付きの運転手はカーター20歳。正装で運転士し、いかなるときも冷静沈着。


1985年ロンドン。マンリーは料理のレセプションに参加するために、食の研究家グロブナー博士の家へやってきた。


グロブナー博士(55歳)はなぜだろう小人である。吐き気を催すような料理を愛し、マンリーを尊敬している。「あなたが求めるものは全てそろっている」と意味深な発言。マンリーは彼の研究室から、なにやら金属の道具や試験官などが入ったアタッシュケースを持ち出す。


帰宅後、妻ウィニーに手伝ってもらい、小鍋をベルトで身に装着。その上からジャケットを羽織り、またどこかへ出かける(南アメリカへ?)。車内で運転手カーターに「このプリジェクトに9年費やしてるんだよ」と愚痴るが無視される。


次に訪れたのは、ロッシの家。70歳、これまた食の研究家。男女数人が集って食事会を開いていて、何の肉かわからない大きな塊をスライスして食べている。ロッシは「やるべきことはやった・・・地球上のあらゆるものを味わった・・・幽霊をも食べてしまった」と告白し、マンリーを唖然とさせる。そして自分の後継者にマンリーを指名する。


カーターの運転で再びロンドンへ。古びた教会の前で降りると、門の前に看板があった。

あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ
かわいていたときに飲ませ
旅人であったときに宿を貸してくれた
(マタイ 25:35)


ここはホームレスに食事が提供される場であり、門の前にその列ができている。年齢、人種はさまざまだが若者が多い。


マンリーは最後尾にいたデイビット(30歳)と話すようになる。ホームレスが急増して食事係が足りていないこと、しかしここで待っていれば必ず食事にありつけることを知る。


食事が運ばれたが、マンリーは何も食べようとせず、一人で何か計画を練っている。やがてデイビットに「お腹がすいたから教会(祭服室)に行かなけければいけない、案内してくれないか」と強要する。


なぜ?と疑問をもちながらデイビットはしぶしぶマンリーを祭服室へ連れて行く。その後、怪しげな行動をするマンリーから逃れようとするが、鍵がかけられていて出られない。


デイビットはもう一つの戸口をみつけ、中に入ってみるが、何があったのか恐怖の面持ちで戻って来る。その間マンリーは、グロブナー博士の部屋から持ち出した道具類や、鍋やコンロを用意し、さらにデイビットが着ていたジャケットを脱がせて床に広げていた。


準備はOKだ。
ローソク一本の暗闇で、二人して待つことに。
何を?幽霊を?


実は80年前の今日、ここで貧しい人が殺された。人間の臓器の一部が研究に必要だったのだ。その幽霊は非常に信頼できるから、今夜ここに現れるはずだ。


待ち侘びていると、正体不明の人影が現れる。ホームレスか?清掃係か?と思いきや、そこに映ったのは、口から血を出している死んだ男の顔だった。これは幽霊なのか?マンリーは興奮状態で火をおこし、粉末を投げ、網を広げる。そして画面は真っ暗になり、何が起きたかわからない。


炎が消え、ほとぼりが冷めた頃、マンリーは暗闇で何かを調理し始める。用意していた道具類はこの時のためだ。焼き上がったグロテスクな白い肉片を、満足げにむさぼり食うマンリーであった、、。


夜が明けると、マンリーは路地裏に出てゴミ箱に嘔吐する。
ふらふら歩いていると、外で焚火していた浮浪者に、座って休んでくださいと優しく声をかけられる。飲み過ぎですか?と聞かれて、いやお腹が減ったので食べたら病気になったんだと答える。


そして次の瞬間、マンリーは彼らに冷たい視線を向けてこう言う。


言ってる意味がわかるか?
私が何に餓えているかわかるのか?
本当の飢えとは何か、
おまえらになぜ理解できる!


そこへカーターの車が迎えに来る、彼はわずかな笑みを浮かべ、ドアを開ける。


車内でマンリーは、やるべきことをやった満足感と、達成したからこその喪失感、あるいは憂鬱について、カーターに話をするが、終始無視される。


次はアイルランドへ行くという。
(おわり)

かんたんな考察

1980年代のイギリスは、サッチャリズムによる新自由主義政策が、多数のホームレスを生み出した時代であり、本作はこの政権への批判、皮肉がこめられているという。


マンリーと若者たちは、決して分かり合えない境地で平行線をたどっている。


何事にも無関心な若者ホームレスは、生きる為、義務的に配給の列に並ぶ。片や自分の研究に没頭するあまり他者に無関心なマンリーは、配給の列に並ぶのは奇怪なモノを食べたいという一心だ。一方的な発言も多く、人の名前も間違える。指摘されているにもかかわらず、最後までカーターの名前をカーソンと呼ぶ。


20歳のカーターは、中年マンリーにはまるで関心がない。話は聞かないし、マンリーが目の前で苦しんでいても手を差し伸べず、冷ややかに笑う。貧困ではない若者でさえも、政治への不信感、不満をつのらせている象徴である。


30歳デイビットは、幽霊の恐怖から、自分こそが幽霊なのではないかと考える。今夜自分が消えたとしても誰も気づかないだろうという不安感を露にする。考えを変えない大人と、生きる気力を失くしていく若者たち。ここにも政治への皮肉が隠れているのだろう。


そして唯一登場する日本人タケダは、マンリーを崇拝していて、ノー天気にカメラをパシャリ。時同じくして日本はバブル最盛期。イギリス人との対照的なふるまいが映像上でも悪目立ちしてしまう。


最後にマンリーは、燃え尽き症候群のように憂鬱になるのだが、懲りずにまた次の地へ移動しようとする。苦労して達成してもまた次の「飢え」がやってくるというのだ。詰まるところ、実はマンリーそのものが、働いても働いてもまた貧困がやってくるという国民全体の比喩なのであろう。


*****


「幽霊」「食事」といえば、
1981年 に発表された短編『ある家族の夕餉』A Family Supper もおもしろい。
ranunculuslove.hatenablog.com


充たされることのない不条理さは『充たされざる者』に近いものがある。
ranunculuslove.hatenablog.com


2022.5.22 記
2023.6.4 更新