Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

あなたは何を求めているのか「ネズミ捕り Ⅰ」ナオミ・イシグロ『逃げ道』より

「ネズミ捕り The Rat Catcher Ⅰ~Ⅲ」は、ナオミ・イシグロ短編集『逃げ道』( Escape Routes , 2020 ) に掲載されているお話。間をあけた三部構成になっていて、その存在感は際立っている。間に入るお話は、どれも現代を舞台としているのに「ネズミ捕り」は、ペスト菌による黒死病が大流行した中世の暗黒時代を思わせる。


時代を往来しながら読んでいて思うことは「逃げ道」を探したくなるような人間の心理は、今も昔も、変わらずに在るということ。自覚のあるなしに限らず、人が隠し持っている心の弱さは、他者との交流の中でいずれ表面化し、それに向き合うべき時が必ずくるのだということを教えてくれる。


「ネズミ捕り」をⅠからⅢへと読み進めていくと、私の脳内は、映画『グリーン・ナイト』の世界観にかなり近づいていった。青二才若王、冬の森、ゲーム、五芒星、緑色、きつね(犬)などのモチーフたちが息づき、ダークなのに美しい映像と、あのコミカルな人形劇が目の前に現れるようだった。


もうひとつ浮かぶのは、小説『忘れられた巨人』。父カズオ・イシグロを意識するつもりはなかったが、やはりチラついてしまう。中世、亡き王、害獣退治、船頭と老婆、罠、慈悲と復讐心など、こちらも象徴つながりが多くみられるからだろう。既視感に満ち満ちた「ネズミ捕り」は、前途2作品のパロディとなるの可能性もなきにしもあらず。


と、そんなことを想像しながら読むのもよし、先入観なしで読むのもよし、是非多くの方に読んでいただきたい作品である。


それでは、物語の第一章を紐解いていきましょう。


幻想と怪奇、光と闇が交錯するダークファンタジーの境地。
その幕開けは、、、とあるゲームの始まりだった。

                     
                     

(*ここからネタバレあり)

巨大王宮に王がいない?

舞台は新王が戴冠したばかりの架空の王国。怪物然とした巨大な王宮に、ひとりの男がやってくる。通称「ネズミ捕り」。語り手の「オレ」でもある。世に蔓延る疫病の感染源ネズミを駆除するために「オレ」は雇われた。もちろん屋敷の中が対象であるが、不思議とネズミを見かけない。それどころか人の気配もなく、会ったのは出迎えてくれた老婆のみ。この不気味な婆さんは、ハウスキーパーと思いきや、実はここに住む一人娘の母だった。「オレ」は部屋に閉じ込められていた姫エセルを見つけ、淡い恋心が芽生える。エセルには異母の弟がいて、その人物こそ成りたての新王だというが、すでに家を出ていって不在なのだ。亡き王との関係も気になるところだが、それは第三章で明らかになる。

ネズミとの心理戦

「オレ」は語り口からすると、やや下劣な印象を受けるが、慈悲心のあるロマンティストでもある。そんな彼の心理描写は実におもしろい。一度もネズミに遭遇しないのは、あちらがオレを避けているのだろう、ツワモノがきたと噂しているに違いない。ならばこちらにも出方があると企み、お手製の毒を盛る。「エメラルド・ダスト」と名付けられたその毒は鮮やかな緑色をしている。ネズミが色を識別できないことを承知の上で、なぜそこに美を追求したのだろう。そこに慈悲心は感じられず、ネズミの死後を始末する自分への慰め、せめて美しいビジュアルで迎えられたいという、自己チューとも、弱さともいえる。王からの使命感に囚われ、こうして楽しむことでしか「逃げ道」がなかったのかもしれない。


しかしここは「まだゲームを楽しむ初期段階であった」


毒で死んだネズミとはいえ、やっと出会えたことは好都合だった。ネズミの仕掛け道具(罠)を緻密に組み立てるために、その身の測定が必要だったからだ。細部までこだわり抜いた仕掛け道具とは、いったいどんなものだろう。イメージが湧いてこなかったので、生成AIに助け求めた。プロンプトを駆使して出来上がったのはこんな画像。
(今回の画像は全て生成AIを利用した)



           https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/ranunculuslove/20231216/20231216111018.jpg      


なるほど、階段をグルグルのぼり、カーテンをくぐると即落下、その重みで、吊り下げられた毒の刃が回転する、というしくみがなんとなくわかる。「逃げ道」などないに等しい。一点残念なのは、星の刻印(虫にしか見えない)が、屋根の上にきてしまっていること。


「違う!オレはネズミが死ぬ前に星空を見上げられるように、刻印は天井部分にほどこしたはずだ!」


なんていわれそう、、、。
いずれにしても、死にゆくネズミが最後に星をみられるなんて、エメラルドダストとは違い、この仕掛けには「オレ」の慈悲心が滲み出ている。

ゲームを楽しんでる?ネズミ捕りさん by エセル

仕掛け道具を作った翌日「オレ」は初めて生きたネズミに遭遇する。
そこで衝撃の事実が判明。


なんとあの妖怪婆が、子守唄を口ずさみながらネズミに餌を与えていたのだ。
丸々太ったネズミたちは何不自由なく幸せそうで「オレ」はネズミとの心理ゲームに燃えていたというのに、肩透かしをくらったような気分だった。



(注:お婆さんだから髭はありません)


もちろんネズミに非はないが、奇妙な光景に「オレ」は身震いする。
せめてもの救いは、エセルが仕掛け道具を美しい!と賞賛してくれたこと。意外な反応を受け、オレはその「死をもたらす新しい道具」の構造について弁舌をふるうのだった。


「そこに何が見える?・・・ほかには?」などと問いかけながら、熱く語るその姿は、『忘れられた巨人』の修道院において、戦士ウィスタンが少年エドウィンに、砦の構造とその目的を教示する場面を思い起こさせる。過去にブリトン人がサクソン人の集団殺戮を行っていたその砦は、造りそのものが、人の心理を利用した完璧な仕掛け罠となっていた。ウィスタンの復讐心は根強く、過去の記憶を奪っている雌竜クエリグを退治することが最終使命であった。「オレ」の使命も、もはやモンスター化したネズミを倒すことであり、その思いの強さは、ウィスタンと同レベルであったに違いない。

ワインは何色だったのか?夜の散歩にて

ある日エセルが夜の散歩をしようと誘ってきた。「オレ」にとっては姫と二人きりになれる千載一遇のチャンスである。しかしこの甘い誘惑こそが罠だった。夜の森は、湖が凍るほどの寒さだったのに、エセルは持ってきたワインを注ぎ、ちびちびと飲み、こうつぶやく。


わたしはなにが欲しいの?なにを求めているの?


たとえば、どんなに仕掛け道具が素晴らしくても、ネズミが欲しがるものは何かを考えることのほうが重要なのではないか。あの階段を上りたくなるような何かを。エセルは自分に置き換えて自問してみても、答えはどこにも見当たらず「オレ」にそう詰め寄るのだった。


屋敷に閉じ込められた、孤独な姫の悲痛な胸の内を聞いたオレは、ついにこう言う。
「オレとここから逃げよう、一緒に暮らそう」と。


しかし返ってきた言葉は、思いのほか冷たかった。端的に代弁すると、とっととワインを飲んで帰ってくれ、とのことだった。「オレ」はしぶしぶワインを飲み干し、エセルと別れ、帰路を歩き始めたのだが、、、


身体がうまく動かせない。どうやらワインに毒を盛られた。エメラルド・ダストだろう。手足がもつれ、激しく身もだえ、ついに倒れてしまった。オレは罠にかかったのか?ゲームに負けたのか?それともネズミの祟り?犯人はだれ?


もう駄目だと思ったその刹那「オレ」の目に飛び込んだのは、皮肉にも満天の星だった。「オレ」はネズミではない。でも気分はあの「仕掛け道具」の中にいるかのようだった。生死をさまよう「オレ」と、きらめく星々。光と闇が同居するファンタジーは、この世のものとなって「オレ」に降りかかっている。


そしてそのファンタジーは「紙芝居」という縮図となって、私の目の前に降りてきた!


それにしても、
緑色のエメラルド・ダストを含んだワインは
何色だったのだろう。




次回へつづく
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