Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

欠けたピースは永遠に埋まらない 「ネズミ捕り Ⅱ 王」ナオミ・イシグロ『逃げ道』より

「ネズミ捕り Ⅰ」のつづき

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第二章では、The King と副題がついているとおり、いよいよ新王が登場する。ネズミ捕りと新王、新たな心理ゲームの幕開けである。それは、エセルを巡る取引であり、お互いの内面をえぐり出すようなせめぎあいとなる。約束は果たしあえるのか、、、、ナオミ・イシグロの細やかな情景描写に導かれ、胸を打つ展開となる。


(ここからネタバレあり)

未熟な新王

毒を盛ったのはエセルなのだろうか。
「オレ」は雪の中から這い上がり、凍てつく森をさまよい、一軒の小屋にたどり着く。ここに新王がいるはずだ。王宮から逃げ隠れているというエセルの異母弟が。「オレ」を雇った彼に会えば、毒の謎が解けるはずだ。



迎え入れてくれた主人は確かに新王であったが、王の風格など皆無であり、少年のように痩せ細って薄汚れていた。一方で、ネズミ捕りの「オレ」も、未だ毒が抜けきらない死人のような様相だったから、似たようなものだ。写し鏡のような二人。隠し持っている心の闇も同じであろうか。それを示唆するかのように、二人は会話中、お互いの言葉をオウム返しし、モノマネする場面が幾度とあり、切ないけれど、ちょっと笑えたりもする。そこに新王の幼さが見てとれる。退屈だった子犬との生活に刺激を求め、なにか面白い話はないのか、歌や踊りはしないのかと「オレ」に詰め寄るのだった。


新王は、外の世界を完全に切り離していた。作りかけのジグソーパズルのような美しい風景は、空想上の異世界であり、自分の居る場所ではない。言い換えると、薄汚れたこの小屋に反して、外の世界が美しくあってほしいと願っているわけだが、そんなものは綺麗ごとにすぎない。未熟な新王は、外の世界に幻滅したからこそ、この狭き世界に逃げてきたのではなかったか。しかし一向に充たされない空虚な自分にまた幻滅するという、不のループに陥っていたのだろう。その憂いは、完成させる気のないジグソーパズルに映し出されていた。

姉エセルと同じものが欲しい

新王は、姉のエセルに嫉妬していた。幼いころから愛情を向けてくれなかったからだ。エセルが賞賛した「仕掛け道具」を自分にも見せてくれ、自分にも同じものを作ってくれと「オレ」に迫る。もし気に入れば、エセルと仲直りする方法を教えてやると約束した。

You must make us a new trap, Mr Rat Catcher,



「オレ」は応じるしかなかった。くだんの毒について、エセルの潔白の証拠がほしかったのだ。「オレ」は仕掛け道具を一からつくるために森へ戻り、サンプルとなるネズミを探し始めたが、そこでまた肩透かしを食らったような気分になる。ネズミの側は逃げる気もなく、まるで自ら身を差し出してくるような動きをする。あの子犬といい、危機感もなくのうのうと生きている連中は嫌悪の極みである。時間の無駄だと諦め、記憶のサイズで仕掛けを作ることになった。


あとから考えると、ここに「オレ」の最大のミスがあったのではないかと思ってしまう。ナオミ・イシグロの綿密なもくろみなのか、若干寒気がする。しかも、完成した仕掛け道具は、どれほど想像力を駆使しても、なかなかイメージがつかめない。今回はAIさんも思うような画像を作ってくれなかった。実はそれが狙いなのだろうか。読者の想像力を曇らせ、曖昧にさせるような何かがある。煙に巻かれた私たちのほうが罠にはまったのかもしれない。


なんのことかは、後に明らかになるが、ともかくも「オレ」は新王を満足させるであろう仕掛けを完成させたのだ。


そう、たしかに

I have kept my side of it.

しかし「オレ」はそれを披露する前に、新王側の約束を守らせようとした。エセルのことである。「こんなささやかなゲーム」のことなど忘れたふりをする新王は、「オレ」の圧力に根負けし、ついに重い口を開いた。


姉は幼いころからネズミだけが遊び相手で、ネズミを愛していた。「オレ」を雇ったのは、ネズミがいなくなれば、姉の愛情を自分に向けさせることができるのではないかと思ったから。姉への復讐心は根深いのであった。新王がエセルを反逆し、エセルは「オレ」を反逆する。この構図こそが最大の心理ゲームだといえそうだが、つまるところ「オレ」はエセルを愛したいのであれば、もうネズミ捕りとしての仕事が出来なくなるというわけだ。エセルをとるか、新王の使命を全うするか、板挟み状態だ。このあたりは映画『グリーン・ナイト』の騎士ガウェインの窮地に当てはまるだろうか。

衝撃の事態!怪物が火だるまに!

今度はそなたの番だ。さあ、約束を果たすのだ。

It is your turn to honour your promise.・・・
Now you must fulfil your end of the bargain.


そう促された「オレ」は我に返り、渾身の作「新たな仕掛け」を披露する。あの時と同じく、構造の説明には抜かりがない。しかし先ほどから子犬が騒がしい。自分のおもちゃだと勘違いし興奮しているのか。その瞬間、あっという間に子犬が仕掛け道具に駆け寄り、上っていってしまった!その先に「逃げ道」はないはずだ。叫ぶ新王、冷静な「オレ」。そして無残にも死する子犬、、、、。


あの時の、記憶にたよったサイズ測定を思い出してみよう。「オレ」はネズミではなく、わざと子犬の身の幅に合わせて仕掛けを作ったのではないかと、ここにきて疑ってしまうのだ。


さらに衝撃は続く。狂ったように取り乱した新王は、暖炉の火を用いて、炎の棒を「オレ」向けて落としてきた。


「きさまは正真正銘の怪物だ!」


「オレはネズミではない!モンスターではない!」と再び聞こえてきそうだ。
火だるまになった「オレ」。死に物狂いで雪の中へ、そして凍った湖へ身を投げる。今度こそこの世の終わりなのか、、、、。


そういえばエセルには味方がいた。
妖怪婆と、屋敷にいた弁護士ショーだ。
ワインの毒については、、、そういうことだ。


 次回につづく

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