「うち」という言葉は、外国人からすると、たいそう奇妙であるらしい。関西では、おもに女性が「私」の代わりに用いたりする。他にも、うちの子に限って、うちの人、うちの会社、うちらの世代、、、など、老若男女、津々浦々、よく耳にする言葉ではないだろうか。強い絆で結ばれた内々の人、または集団を意味し、自分自身も含まれることもある。わたしたちが無意識に発しているこの言葉に、モヤモヤする外国の方がいるというのは考えてみれば、ごもっともである。「I」なのか「We」なのか、、、ドッチヤネン!! となるだろうし「He」「She」「They」にも対応しうるなんて、、、ナンデヤネン!!と言いたいところだろう。
日本人が、心の中で引く「うち」と「そと」の境界とはなんであるか、ということを徹底的に観察し、解き明かそうとしたのが、イギリスの作家、ジョン・デイビッド・モーリー。彼は25歳の時に、日本政府招へい留学生として早稲田大学へ留学した。時代は昭和48年から3年間。その実体験をもとに『水商売からの眺め : 日本人の生態観察 』(Pictures from the water trade : adventures of a Westerner in Japan , 1985 )という小説仕立てのエッセイを書き上げた。
言葉を通して、日本文化を考察するスタイルは斬新である。西洋の若者が見て感じた、ありのままの日本の姿を、主人公ブーンに代弁させ、生き生きと描ききっている。現在の私たちにとって、ひと昔前の、ザ・昭和の光景を客観視することは、もはやフィクション小説を読むかのように十分に楽しめるものであるが、イギリス特有のアイロニーが点在しているため、当時の日本人読者の間で物議を醸したのではないだろうか。いずれにせよ、この小説は6 か国語に翻訳され、日本でもベストセラーになったというから驚きである。
日本人の「うち」の概念は、昔ながらの日本家屋に共通するのではないか、とモーリーは考える。東京のアパートと、富山の田舎暮らしで気づいたことは、家の中にプライバシーが確保されていないこと。ふすまや障子は薄っぺらく、換気のために開け放たれることも多い。その反面、家の外の塀は頑丈に造られ、一心同体のような「身内」と「他人」とを、大きく隔てる壁となっている。「内」を重要視するあまり「外の人」には一定の距離をおく。この壁は「本音」と「建て前」、「義理」と「人情」を重んじる日本人の美徳の象徴ともいえる。つまり、あらゆる日本の文化において「うち」が根底にあり、その概念の強さが、モヤモヤの原因となる「曖昧さ」を生み出しているのだと結論づけている。
実はこの小説に対して、カズオ・イシグロは「London Review of books」という雑誌で書評をかいていた(というのも驚きである)。
(ネットで全文が公開されています)
London Review of books ( August, 1985 vol.7 No.14 )
www.lrb.co.uk
本書は「究極的に閉鎖された日本の社会に侵入しようとした、一人の男の魅力的な本」であると、イシグロは負けじとアイロニーでもって、高く評価している。
一方で、モーリーの「Uchi 理論」は、行き過ぎている面もあると指摘し、日本人の性質を著しく単純化させる危険性があると警笛を鳴らしている。当時の日本人は、働きすぎのサラリーマンや、ステレオタイプの人々、自殺の多さなどから、ネガティブなイメージが先行し、感情の伴わない「エコノミック・アニマル」や「非人間的」と呼ばれていた。イシグロが懸念するのは、モーリーにも同様の見方があり、西洋文化こそが世界の中核であるという考えが根底にあるのではないかということだ。そうでなければ、そこまで日本人を否定する理由に説明がつかない。イギリス人と日本人は共通する性質があると考えるイシグロにとっては、残念でならないのだろう。
しかし、故郷を離れ、受け入れてもらえると信じていた日本社会から拒絶された苦い経験を、フィクションの中で伝えたいと考えることは当然のことだと、温かく手を差し伸べている。イシグロ自身も経験したかもしれない異文化での風当たりの強さに、理解を示したのだろう。モーリーは水商売の世界だけが、自分を受け入れてくれたと感じていた。そこには「よそ者」はどこにもいず、安心して自分をさらけ出せた。普段厳格なサラリーマンも、ここへ来て上着を脱げば、たちまちリラックスして本音トークが始まるのだ。「うち」も「そと」も関係ない、こういう場所が日本にも存在するのだと知り、このような世界から、改めて日本を見つめ直そうとしたのかもしれない。
イシグロが残念に思うもう一つのことは、この本のタイトルが「水商売」であること。つまり、色宿、クラブ、キャバレーなどの夜の世界が、この本の主要な関心事であるかのように暗示されている点だ。「本書のタイトルにふさわしいのは、日本の家「Uchi」ではないだろうか」というのは、私も同意見だ。やや批判的ではあるものの、そこに攻撃性はなく「a pity」 という語を用い「残念」のなかに、哀れみと同情心が含まれているところに、イシグロらしさが感じられる。私個人的には「adventures of a Westerner in Japan 」という副題があることで、いかがわしさも和らいでいると感じるが、なぜ「日本人の生態観察」と訳されたのか、むしろそこが「a pity」でならない。
さてこの作品を、イシグロ文学の観点から読むならば、モーリーの「運命観」についての言及は、決して見逃すことはできない。モーリーは「運命」と「宿命」の違いについて簡単に説明した後、日本人は「運命」を辛抱強く受け入れ「宿命」のままに従う風習があり、禁欲主義や、あきらめの精神を生み出している、と述べている。たとえば、二十世紀の日本軍は、戦略的には敗北していると知りながらも、日本が優勢に転じると信じている。敗北したとしても、これも運命だと受け入れるのだ、と。
イシグロは、鋭く指摘する。「モーリーは、日本の歴史について深い知識もなければ、社会学的なデータも持ち合わせていないようだ。・・・・日本人が「運命」や「宿命」にとらわれやすいのは、神道や仏教の影響だけではなく「武士道精神」(the samurai ethical code)に由来している」と。「武士道」とは、広辞苑によると「明治以降、国民道徳の中心とされた、主君への絶対的な忠誠のほか、信義・尚武・名誉などを重んずること」とされ、これは西洋の「騎士道」にも通じる。
ちなみに、イシグロがこの書評をかいたのは1985年(昭和60年)御年31歳。執筆した小説でいうと『遠い山並みの光』(A Pale View of Hills, 1982) と、『浮世の画家』(An Artist of the Floating World,1986) の間にあたる。戦後の日本を舞台にしたこの2作品に、大きく関わるモーリーの見解を、どう感じとっただろうか。加えて、あきらめや不幸が、日本文学の古典的なテーマになっているというモーリーの批判をも逆手にとり、イシグロはその後の作品でも「武士道精神」や「運命観」をテーマにし、成功おさめてきた。
『浮世の画家』の小野益次の「武士道精神」は、イギリスへ渡り『日の名残り』(The Remains of the Day,1989)、のスティーブンスに託された。『忘れられた巨人』(The Buried Giant , 2015 ) のガウェインは「騎士道精神」の中核を成していたし、感情の抑圧や、変えられない運命を受け入れるという意味では『わたしを離さないで』(Never Let Me Go,2005年)のキャシーが、そして無条件の献身、奉仕については『クララとお日さま』(Klara and the Sun , 2021 ) のクララが引き継いでる。イギリスと日本に限らず、人であれ、クローンであれ、ロボットであれ、イシグロが問いかけるテーマは一貫している。
「言葉で意味を隠す」ということに関心を寄せていたイシグロが、モーリーの「Uchi」論にどれだけ刺激を受けたのか、考えてみることは楽しい。
そしてあらゆる角度から、日本文化を眺めてみることは、とても有意義な時間であった。
※合わせて読むと面白い
1900年アメリカで出版された後、英語以外に様々な言語に訳されベストセラーとなる。フランス人タレーランが定義した、日本人にとって言葉というものはしばしば「思想を隠す技術」であるというのは、いかにもイシグロ文学の核心をついている。