Ranun’s Library

書物の森で溺れかける

『戦争のすんだ夏』"The Summer after the War " カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロ著『戦争のすんだ夏』(The Summer after the War,1983 )は、雑誌『Esquire 日本語版』1990年12月(36号) に掲載された短編小説です。
3年後に出版される『浮世の画家』の原型といわれています。


原文は、A Family Supperと共に収録されています。
(「カズオ・イシグロ秀作短編二編」深澤俊 編注 1991 )


原文、こちらから無料で読めます↓
granta.com


あらすじ

語り手イチローが、終戦後の夏に、鹿児島の祖父と過ごした日々を振り返るお話。
特徴的なのは、当時7歳だったイチローの目線で語られていることである。


祖父になついていたイチローは、毎朝庭で柔道の練習をする祖父をみていた。
絵を教わることもあり、毎日根気よく続けることが大事だと学ぶ。
しかし、イチローは祖父の絵を一度もみたことがない。


ある日、祖父の弟子が家にやってくる。
時々二人が声を荒げて話すのをイチローは聞いていた。
志那事変の只中、祖父が画家として無責任な活動をしたということで弟子と口論になっていたのだ。


いったい祖父が何をしたというのか。
7歳のイチローには、皆目理解できなかった。


それでも祖父は、イチローとお風呂に入るとき、画家として歩んだ人生を、少しづつ話してくれるようになる。幼子によくわかるようにと、自分の体験を兵隊さんにおきかえているところは温かくもあり、切なくもある。

'Very brave soldiers. But even the finest of soldiers are sometimes defeated.'(p.25)
「(日本兵は)非常に勇敢な兵士だ。
だがなあ、最高の兵士でさえ時々敗北するんだよ
'What an awful thing war is, Ichiro'(p.26)
「戦争はなんてひどいことだ、イチロー


かつて名を馳せていた画家の祖父も、日本兵同様、敗北してしまったのだろう。
イチローが理解したかどうかは不明だが、この後ヒーローものの空想劇に発展するところは、いかにも切ない。


後日、イチローはついに祖父の絵を発見する。
例の問題となった絵である。それは映画のポスターのようなもので、真っ赤な背景に、日本の兵士と軍旗が描かれていた。


隅には「日本人は前進しなければなりません」
'Japan must go forward'(p.39)
という文字。
イチローは背景の赤色から、血を連想し不安になる。幼心にも、この絵に対する嫌悪感が芽生えたことは確かだろう。


その後、祖父は倒れ寝込んでいたが、イチローが描いたカエデの木が癒しとなった。
最後にイチローは、自分も将来画家になりたいといって祖父を元気づける。

感想

著者の日本での記憶を再現したような、古き良き日本の情景が、繊細に描かれていた。イチローと祖父の会話は、平和で温かみがあり、戦争とは人生を狂わせるものだということを、優しく伝えていたのが印象的だった。


信念を持ち、国のために行動してきたことが、戦後一変し、困惑する姿や、過去の過ちを直視せず、自己正当化する老人画家の心情は『浮世の画家』の小野益次へと引き継がれてゆく。『浮世の画家』でも孫は登場するが、今度は老画家、小野益次の目線で語られている。


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2021.5.28 記
2023.11.27 更新

毒を盛られて "Getting Poisoned" Kazuo Ishiguro    

カズオ・イシグロの初期短編のうちの一つ
Getting Poisoned (1981)
『中毒になる』あるいは『毒がまわる』でしょうか。

Introduction 7 : stories by new writers,1981
に含まれています。和訳は今のところありません。

この作品は、問題作?とまではいきませんが、イシグロさんらしからぬ作品です。
個人的には、アゴタ・クリストフの『悪童日記』を彷彿とさせますが、実はイーストアングリア大学の先輩作家、イワン・マキューアンの『セメントガーデン』の模倣ではないかと言われています。
イシグロはこのことを認めていて、意図的に真似てみたんだと述べています。現在進行形の日記形式にしたことも、ある意味刺激的な挑戦だったということで、イワン・マキューアンの影響をかなり受けている作品だといえます。

内容

ボク(少年)の日記形式で話が進む。


友人エディの兄が淋病(毒)にかかっている。
それなのになぜ彼は元気なんだ。
”Obviously it takes some time for the poison to get working on you." ( P.38 )
「毒が回るのには時間がかかる」
のだろう。


ボクのは、大丈夫か?と不安になり日々の確認作業は抜かりない。


母親は愛人と出かけるため、いつもひとり。
学校へも行かなくなり
愛猫と遊ぶことと、
父の残したエロ本をみることが唯一の楽しみ。


ある日、猫が無視するのが不愉快で、エサを与えなくなる。
さらに雑草除去剤(毒)を物置から見つけ、
それをキャットフードに混ぜて猫を死なせる。
毒が回るのには時間がかかるのだ
その時間を観察しながらほくそ笑む。


母の愛人が娘とともに引っ越してくる。
娘キャロルは16歳。
ボクよりかなり年上だ。


始めはキャロルに対して嫌悪感をもつが、
そのうち誘惑?、挑発?されて、、、
ある日、男女の関係に。
信じ難いことに、
その行為の前に、彼女に雑草除去剤(毒)を入れたコーヒーを飲ませるのだ。
毒が回るのには時間がかかるのだ
と、その時間を楽しむ。


その後、彼女は嘔吐し、死亡する。


ボクは鼻歌を歌いながら、内心ではこう嘆く
「本当は彼女に死んでほしくなかったんだ」
と何度も言い訳するところに、少年らしい複雑さ、内面と行動との乖離がみられる。

感想

少年の歪んだ精神から生まれる悲劇。
罪の意識もなく、奇行が中毒化していく悲劇。
確かに先輩作家を真似た挑戦的な作品だと思った。
そして、ちょっと不気味な後あじは、その後の作品に繋がっていく。
親のネグレクトは『遠い山なみの光』で登場するし、
孤児状態なのは『私たちが孤児だったころ』にも通じる。
過去をさかのぼることで、とても貴重な読書体験ができた。

『遠い山なみの光』”A Pale View of Hills“ カズオ・イシグロ

遠い山なみの光』(A Pale View of Hills,1982)は、
カズオ・イシグロの長編デビュー作です。
1982年、王立文学協会ウィニフレッド・ホールトビー賞を受賞しました。


当初『女たちの遠い夏』(1984 ) というタイトルだったことはあまり知られていませんが、
個人的には、こちらのほうが好きだなあと思います。
「女たち」に内包する「母親たち」としての生き様に共感できる部分があるからでしょうか。


幼い頃の日本(長崎)の記憶を作品の中に「保存」しておきたかったという著者が、生まれる前の、みたこともない戦後の日本をみごとに「再現」した作品。英語で書かれたものを和訳されたという逆輸入のような異色さ、そして読むたびに新たな謎が生まれる、鳥肌がたつような物語です。




簡単なあらすじ

英国に住む悦子には、二人の娘がいる。
元夫との娘(景子)はマンチェスターの自室で自殺。
再婚した英国人との間に生まれた娘(ニキ)は母を励ますため帰省していた。
詳しくは語られていないが現夫は不在。
ニキが滞在する数日の間、悦子が故郷の長崎時代を回想する。

景子と万里子の混在

自殺した景子の部屋からは未だ妖気が漂い、悦子は最近よく見る少女の夢におびえていた。新婚当初に知り合った友人、佐知子とその娘(万里子)を想い出し、夢に出てくる少女が、この二人と重なるのを感じ、しだいにその夢になんらかの罪の意識を持ち始める。
しかし悦子の記憶は曖昧で、語りの過程で徐々に思い出すこともある。
たとえば夢に出てくるブランコに乗った少女をあとから訂正する。乗っていたのはブランコではなかったと。


このあと佐知子と万里子の三人で、稲佐の港からケーブルカーに乗ってお出かけしたことを回想が始まることから、少女が乗っていたのはブランコではなく、ケーブルカーだったのだろうと察しがつく。なぜかこの日の記憶は鮮明に覚えていて、万里子がくじ引き屋台(kujibiki-stand )で当てた野菜箱のことを語りだす。(この野菜箱は、後日凶器として使用されるのだ)


そして後半、悦子はこんなことをつぶやく、
「あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの」(p.259)
万里子が景子に変わっているのだ。気づいた時は、ミスプリではなかろうかと疑ってしまったが、これは明らかに万里子と景子の混在が示されている部分だろう。
「空想と現実がごっちゃになっちゃうのね」(p.105)と佐知子が言っていた言葉もここで思い出され、ゾっとする。


興味深いことに、悦子が万里子をたしなめたり、彼女に対して良くない感情が芽生えた時は、呼び名が変わる。万里子(she)と呼ぶ時もあるが、「女の子」(the little girl)または「子供」(the child)と呼ぶ。日本人の感覚でいうと、親しみのある少女に対して、このように呼ぶことは、やや冷たい印象を受ける。悦子は万里子に対しては献身的に支えていた反面、時おり冷たい態度をとっていたのではなかったかと思うようになるが、この冷さを実は景子に向けていたのではないかとも感じる。景子を自殺に追いやったのは自分のせいではないか。 罪の意識は、景子と万里子の混在により曖昧になったままだ。


子殺し

親の子に対する愛情は、紙一重である。過度に保護することによって人間性を損ね、絶望感を植え付けてしまうといわれている。また親という責任の重圧から、心とは裏腹な言動をとってしまったりもする。そのことが原因で子が自殺に追い込まれたり、病気になったりしたとしたら、それは子殺しといえるのだろう。


イギリスでは、日本人には本能的な自殺願望があるという見方もあるという。この物語は景子の自殺に始まり、万里子が見た子殺し現場、また長崎での連続子殺し事件、さまざまな死を提示しながら、外から見た戦後の日本のイメージを随所に醸し出している。


佐知子自身、母としての責務と、女として再出発したいという狭間で葛藤していたひとりだ。そんな彼女が、ある日万里子がかわいがっていた猫を殺めるのだ。万里子が見ていると知りながら、くじ引き屋台でもらった野菜箱を使って、猫を川に沈めた。万里子の分身のような猫、猫=万里子と考えると、佐知子は我が子を殺めたのも同然だといえる。


万里子はいつか自分も同じことをされるのではないかという恐怖をもっていただろうし、佐和子もいつ娘を殺めてしまうかわからない危うさがあった。


これらのことを回想した悦子は、ふと我に返り、景子の自殺は自分のせいではないと開き直る。ニキもそういっていたんだから、と。
ニキの言葉は、あのとき佐知子がいっていたことと重なる。
「ただの猫よ、ただの猫なんだから」、、、、。



クリスマスキャロルからの教訓

本作は、
悦子の現在から過去、過去から未来、
佐知子の過去、現在、未来が複雑な2重構造をおりなしている。
二人は同一人物だとは思わないが、似ている部分もあり、佐知子の人生を悦子が追いかけている、つまり佐知子は悦子の象徴であり、未来像である。


このことは、さりげなく登場する、ディケンズの『クリスマス・キャロル』にあてはめて考えることができそうだ。


ここでディケンズの『クリスマス・キャロル』を簡単に紹介すると、
強欲なエゴイスト、スクルージの前にクリスマス前夜3人の幽霊が順番に現れる。
それは過去、現在、未来の幽霊。
スクルージは、それぞれの場面で自分の人生を振り返ること、現実に向き合うこと、どうすれば未来は変えられるかについて考える機会を得る。
特に未来の幽霊は恐ろしく、彼の未来の悲惨な状況をみせつけた。しかし未来は努力次第で変えられるのだから、希望を持ち、これまでの罪を悔い改めなさいという教訓が込められている。


著者がここで『クリスマス・キャロル』を起用したのは偶然とは思えない。佐知子は英語版の『クリスマス・キャロル』を父からもらい、読めるように勉強していたが、まだ読破していないにもかかわらず、あたかも3人の幽霊に会ってきたかのようなことを言う。

「過去ばかりふりかえってちゃだめね。わたしも戦争でめちゃめちゃになったけど、まだ娘がいるんですもの。あなたの言うとおり、将来に希望をもたなくちゃだめね」(p.156)


一方、悦子からしてみれば、3人の幽霊の存在は身近にあったといえる。
自分の未来の幽霊、佐知子をみると不快感をおぼえるが、結局は自分も佐知子と同じように生きてきてしまった。
過去の幽霊(つまり夢に出てくる少女)は景子であり、後悔の念に取り憑かれている。
現在の幽霊をニキとしてみれば、彼女の自由奔放な考え方も取り入れ、未来はまだ変えていけると希望をもつのだ。

結末

佐知子は結局アメリカ兵に裏切られ、アメリカ行を断念するが、娘と神戸に移住することを決め、出発の日を最後に回想は終わる。
悦子はニキを見送る際、大切にしていたカレンダーを渡す。
そのカレンダーには、あのときケーブルカーに乗り、山頂から見下ろした風景があった。
悦子はそれを手放すことでやっと、過去の苦しみを手放すことができたのだ。


本作で並行して語られていたのは、義父(緒方さん)のこと。
緒方は、昔の教師時代の名声を誇りに生きてきたが、時代は民主主義に変化し、戦前の思想が通用しなくなり困惑していた。
この人物は後の作品『日の名残り』のスティーブンスや、『浮世の画家』の小野の原形といえる。


奇妙な物語を作りたかったと言うカズオ・イシグロ
多くを語らない登場人物たちや、記憶の曖昧さが、奇妙で不気味な世界を作りあげている。その謎を解くために、読み終えるとすぐに再読したくなるような、そんな魅力がある作品だと思う。


2021.5.16 記
2022.6.18 更新


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『ある家族の夕餉』"A Family Supper" カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロ著、A Family Supper『ある家族の夕餉』あるいは『夕餉』は、雑誌『Quarto』(1980) に収録された短編小説です。デビュー作『遠い山なみの光』(1982) の約1年前になります。


のちに雑誌『Esquire』(1990) に再録され、こちらはネット上で読むことができます↓

classic.esquire.com



原文はこの2冊に含まれています。
The summer after the war ; A family supper ,1990
The prophet's hair : and other stories, 1994



邦訳は以下3つに収められています。
●雑誌『すばる』(1984年2月号)
夕餉 / カズオ・イシグロ著 ; 出淵博訳


●『集英社ギャラリー[世界の文学]5 イギリスⅣ 』(1990)
夕餉 / カズオ・イシグロ著 ; 出淵博訳


●『しみじみ読むイギリス・アイルランド文学』(2007)
ある家族の夕餉 / カズオ・イシグロ [著] ; 田尻芳樹訳



*******


「家族の夕餉」ということで、誰もが想像するであろう平和で温かい日常の食卓。


ところがそこは、さながらホーンテッドハウス。


じわりじわりと読者を恐怖に陥れる罠が潜んでいるのです。


表層と深層のギャップ。


不穏な空気が後を引きます。


デビュー前にして、はや異彩を放つカズオ・イシグロ


本作はまさに、イシグロ版ミステリー小説といえそうです。


あらすじ

季節は晩秋。
鎌倉の屋敷で隠居生活をしている父のもとに、「ぼく」(語り手)と妹のキクコが久しぶりに帰省する。


母は2年前にフグを食べて中毒死した。
父の会社は倒産し、同僚は一家心中したという背景がある。


戦後の日本は、明らかに西洋の考えに傾倒しつつあり、父は時代に取り残されような孤独感を背負っていた。


一方で、アメリカ在住の「ぼく」と、今まさに渡米を計画している妹からは、未来への展望がうかがえる。どちらか一人でもこの家に戻ってほしいと期待する父と、そんな気などさらさらない子供たちとの隔たりは、沈黙という名の冷戦を繰り広げている。


「ボク」と妹は、久しぶりのに会ったので、つい縁側で話し込んでしまった。その間、父は料理の支度をしていて、鍋料理が食卓へ運ばれる。


ちょうどその時、「ぼく」は壁に映る白い人影をみる。


幽霊か?母の亡霊か?はたまた、、、?


静かな食事が始まり、「ボク」は父に質問する。
「この魚はなに?」


父の答えは「ただの魚だ」というだけ。
それなのに「お腹へっただろう、もっと食べなさい」と何度も言うのだった。


さて結末はいかに、、、。

戦後の日本のミステリー

まず冒頭から、フグの説明が約1ページに渡って続いている。当時、家庭でフグ料理を振舞うことが流行したこと、内臓の除去のしかたや、毒のこと、もし毒にあたったら、数時間で死に至ること、などが淡々と述べられている。日本以外で読まれることを前提とすれば、このような説明は当然のことかもしれないが、それだけではなさそうだ。終始「死」のイメージがつきまとうのは、庭にある井戸や、幽霊、一家心中の話題が次々にでてくるからだろう。


父の見解では母は自殺だったようだ。父にとって自死とはどのような位置づけだったのだろう。同僚の一家心中については、勇敢な死だったと思わせるような口ぶりだ。国のために命を捧げることは誇りだと考えているが、戦争での集団自死と、同僚の一家無理心中を同一視している。それなら母親はどうか。悩みや心配事をかかえていたとはいえ、故意にフグを食べ、死を選んだというのか。それとも単なる父の偏見か、思い込みか、謎は深まるばかり。


薄暗い灯りの下で、鍋料理を食べる親子。この魚は何なのか、フグなのか?父の顔に映る不気味な影も手伝って、読者の恐怖はここでピークに達するだろう。


・My father's face looked stony and forbidding in the half-light.
・One side of his face had fallen into shadow.
怖い、、、。


このとき冒頭の説明が生きてくることになるが、仮に家族がフグを食べて毒がまわっても、死に至るのは数時間後というわけで、わたしたちが結末を知る術はない。


そして物語は、父と「ぼく」の前向きな言葉で終わる。
’Things will improve then.’
'Yes, I'm sure they will'


しかし「うまくいく」とは?、、、どっちの意味で?



*******


同じくミステリー調の短編が、デビュー前に書かれています
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2021.5.10 記
2023.11.27 更新

『わたしたちが孤児だったころ』"When We Were Orphans" カズオ・イシグロ

わたしたちが孤児だったころ
(When We Were Orphans ,2000)
は、カズオ・イシグロの長編小説第5作目で、
ブッカー賞の最終候補に選ばれた作品。


本作は、カズオ・イシグロ作品の中で、
もっとも悲しくて、
もっとも泣けるノスタルジーの物語である。


主人公で探偵のクリストファー・バンクスの失ったものは何なのか、
タイトルの「わたしたち」とは誰なのか、
読むたびに違った印象をもつ。
しかし何度読んでも、
やはり悲しい物語であることに変わりはない。
なにかを諦め、なにかを手放し、
どうにか折り合いをつけながら生きていくわたしたちはみんな、
バンクスと同じ「孤児」なのかもしれない。

簡単なあらすじ

クリストファー・バンクスは幼いころ住んでいた上海で、両親が謎の失踪をし、孤児となる。故郷イギリスの叔母の家に引き取られ、やがて探偵になる。


アヘン貿易に関わっていた父と、その撲滅運動をしていた母は当然のように不仲であった。両親のことは今でも警察が懸命に捜索してくれていると信じていた。しかしその使命は、探偵である自分にあるのではないかと、意を決して上海へ戻ることに。


時は奇しくも日中戦争の真っ只中。戦禍の中、無我夢中で両親を探すが努力は無駄に終わる。そこで偶然、幼いころの友人アキラ(日本人)に再会する。彼を怪我から救ったが、再び別れ別れになる。


そしてついに、ある男から、衝撃的な事実を明かされる。

ノスタルジーとは

バンクスが、ノスタルジーに浸る場面は何度かある。
ノスタルジーとは、ある景色や行動が引き金となって、過去の美しく楽しかった記憶が呼び覚まされることである。しかしバンクスにとっての楽しかった過去は、同時にトラウマとなって苦しめてしまうのだ。


たとえば、
ロンドンの書店でチェンバレン大佐に再会したとき、
スコット著『アイヴァンホー』を立ち読みしたとき、
ロンドンの社交界で出会った女性サラと、2階建てのバスに乗ったとき、、、。


懐かしさと同時に彼を苦しめたのは、
チェンバレン大佐の心無い言葉、
中世イングランドの歴史物語をヒントにした空想劇を、おばに批判されたこと、
また、バスに乗れば、フィリップおじさんと馬車に乗った日と同様、見知らぬ場所で置き去りにされるのではないかということであった。


ノスタルジーとはもともと「nostos」故郷と「algia」心の痛みの合成語で、故郷に帰りたいというホームシックに近い意味であったという。現在の定義とされている楽しかった思い出とは裏腹に、どちらかというとネガティブな心情。精神医学からみると、一種の鬱症状や、情緒不安定をともなうものだったという。


とすると、バンクスのノスタルジーは、トラウマをともなうものであってもおかしくない。バンクスはそのネガティブなトラウマを悪と仮定し、悪と闘わなければならない=上海へ両親を助けに行かなければならないという、ある種英雄的な、空想ごっこの延長のような、哀れで幼い発想を抱くのだ。

アキラは実在したのか?わたしたちは一人?

「その男とは会わなかったな」
上海に行ったことのある人物が、バンクスの質問にこう答えた。
人口の多い上海で、特定の人に偶然会うのは奇跡に近い。
立派な成人が、しかも探偵のバンクスが、初対面の人物にアキラに会わなかったかと質問するあたりは少々疑問を感じる。


アキラはほんとうに実在したのだろうか。


日本人のアキラとイギリス人のバンクスは、お互いの国の言葉を教え合ったり、空想劇に民族性の違いを取り入れて遊んでいた。ふたりの家の間を「秘密のドア」と呼び、それぞれの領域を行ったり来たりする。どこか越えられない一線をドアに見立てるかのように楽しんでいる。


それは内面的なものにも及んでいる。強気でプライドの高い日本人のアキラと、控えめだけど重要な決断をすることの多いバンクス。違った性質を行ったり来たりすることで、孤独だったバンクスは自然と心のバランスをとっていたのではないだろうか。つまりアキラはバンクスであり、バンクスはアキラである。ふたりは一体化した、ひとりのバンクスなのではないかと考えられる。


ここで、
2人がある盗み(液体入り瓶)を犯しあと、罪の意識からパニックに落ちいり、運河の畔へ逃げ隠れるシーンを原文で見てみると、気のせいとは思えない「わたしたち」(赤字)という言葉が多用されているのがわかる。

Our spot by the canal, some fifteen minutes’ walk from our homes, was behind some storehouses belonging to the Jardine Matheson Company. We were never sure if we were actually trespassing; to reach it we would go through a gate that was always left open, and cross a concrete yard past some Chinese workers, who would watch us suspiciously, but never impede us. We would then go round the side of a rickety boathouse and along a length of jetty, before stepping down on to our patch of dark hard earth right on the bank of the canal. It was a space only large enough for the two of us to sit side by side facing the water, but even on the hottest days the storehouses behind us ensured we were in the shade, and each time a boat or junk went past, the waters would lap soothingly at our feet. On the opposite bank were more storehouses, but there was, I remember, almost directly across from us, a gap between two buildings through which we could see a road lined with trees. Akira and I often came to the spot, though we were careful never to tell our parents of it for fear they would not trust us to play so near the water’s edge.

(pp.94-95). Faber & Faber. Kindle 版.

青文字は、
「反対側の堤」「ふたつの建物」の意味で、
「わたしたち」の比喩ととらえられる。
「わたしたち」とはもちろんバンクスとアキラのことである。
ここで「わたしたち」を執拗に登場させながら、
バンクスの内にある二面性を強調し、ふたりは一体だということを暗にほのめかしているのではないだろうか。

孤児たち

イシグロは「孤児」を次のように説明している。
「私たちは成長するにつれて泡(幻想的な世界)から出なければいけないが、泡のおかげで人生の困難なことにも対応できるようになる。しかし一部の人は、このように導かれていない。そういう人たちを広い意味で、比喩的に孤児状態と呼ぶことがある」


また、このような親に守られて過ごす時期を、bubble (泡) 防護泡とよんでいる。


バンクスはその泡(幻想的な世界)から抜け出すことができずにいる一人の青年なのである。のちに真実を告げたフィリップおじさんの言葉がそのことを意味する。

きみがどのようにして有名な探偵になれたかもわかっただろう?探偵とはな!そんなものが何の役に立つ?(略)きみのお母さんは、きみに永遠に魔法がかけられた楽しい世界で生きてほしいと思っていた。しかし、そんなことは無理だ。結局最後にはそんな世界は粉々に裂けてしまうんだ。きみのそんな世界がこんなにも長く続くことができたななんて奇跡だよ(p.498)


このように、泡から出ていいかげん現実をみるべきだと忠告を受けたことによって、バンクスに少しずつ変化が現れる。


悲しいけれど、過去は取り戻すことばできなかった。
盲目の俳優と化して、上海の戦禍の中、アキラと一体となって悪と戦ったけれど、母はいなかった。
空想劇はやめて、泡から出なければいけない時が来たのだ。


奇しくもアキラ(もう一人の自分)から聞こえてきた言葉は、
「もう空想劇を維持すべきでない、君は間違っている」だった。


20年後、母と再会を果たすが、老いた母はバンクスを認識できない。
しかし今でも息子を愛し続けているのは確かであった。
そのことを確認できた今、失ったものが見つかった今、ようやく前に進むことができた。
孤児から抜け出した瞬間だった。
もちろんそこにはアキラの存在はどこにもなかった。


悲しいけれど、希望の光がわずかにさしこむような、美しい結末である。



参考文献

[asin:B093RLBMD3:detail]


ranunculuslove.hatenablog.com



2021.5.2 記
2022.7.27更新